一、学歴詐称問題とは
最近マスメディアで報道され、論議を呼んでいる「地方公務員の学歴詐称問題」とは、地方自治体が行う公務員採用試験において、4年制大学を卒業または卒業見込みの者(以下「大学卒業者」という)に受験資格が認められていなかったにもかかわらず、一部の者が大学卒業の学歴を隠して受験し、採用され勤務していた、というものです。
この問題が表面化するきっかけになったのは、2004年に青森市営バスの運転手が懲戒免職処分(公務員が懲戒処分としてその職を辞めさせられること)を受けた事件です。これを契機として、各自治体は学歴詐称者の調査を始めました。最近では、今年1月末に、兵庫県尼崎市の水道局職員が最終学歴を高校卒業と偽って採用試験に合格していたことが明らかになっています。
調査に際して、たとえば大阪市や横浜市は、学歴詐称を自己申告する者に対しては「停職1か月」、それ以外の者を「懲戒免職」とする処分案を発表しました。その結果、多くの自己申告者が現れ、学歴詐称者が多数存在することが発覚しました。大阪市では、2007年4月20日現在で1141人、横浜市は700人と発表されています(いずれも当該自治体による)。
ところが、これらの事件は他の論議をも引き起こすことになりました。一般市民からは、「この処分案は軽すぎるのではないか」との反応があったばかりでなく、「そもそも、どうして大卒者が高卒資格の試験を受けられないのか、これは大卒者に対する不当な差別ではないのか」という意見が現れることになったのです。
これが、今回取り上げる「公務員の学歴詐称による免職と憲法14条」の問題です。
二、なぜ学歴詐称がなされたのでしょうか
兵庫県尼崎市の職員は、学歴詐称した理由を「安定した職業に就きたかった」と話しています。なぜ、地方公務員が「安定した職業」と見えたのでしょうか。
地方公務員法は、地方公務員の身分保障に関する規定を定めています。
たとえば、給料については、地方公務員の給与が不当に低価にならないように配慮し(同法24条5項)、勤務条件についても、勤務が過酷にならないようにしています(同法25条5項)。給料や勤務条件に不服のある公務員は、人事委員会又は公平委員会に対して、適切な措置が執られるべきことを要求することができます(同法46条)。
社会保障制度についても、福利厚生制度(同42条)や、共済制度(同43条1項)を完備しています。公務員が公務中災害に見舞われた場合に対応するため、公務災害補償(同45条1項)も設けられています。いったん公務員に就職できれば、職を奪われるのは一定の場合に限られ、身分が保障されています(同27条から29条)。
このような手厚い身分保障が、「公務員職=安定した職業」と感じられた理由でしょう。
また、バブル崩壊後の長期不況を背景とした、いわゆる「就職氷河期」といわれた就職難の時期とも重なったため、多くの求職者が学歴詐称してでも公務員になりたいと考えたのだと思われます。
三、地方公務員の任用基準について
では、地方公務員の採用資格は、誰がどのような方法で決定しているのでしょうか。
地方公務員の任用基準は、地方公務員法によって定められています(同法15条以下)。
それによれば、地方公共団体は、職員の職に欠員を生じた場合、「採用・昇任・降任・転任のいずれかの方法」によって職員を任命することができます。そして、この任命に際しては競争試験が行われ、試験の内容等については人事委員会(人事委員会が設置されていない地方公共団体においては、任命権者)が定めることとされています。受験資格については、「職務の遂行上必要な最少且つ適当の限度の客観的且つ画一的要件を定めるものとする」(同法19条第2項)と規定されています。
したがって、ある職種の採用資格について「大学卒業者は受験することができない」との要件も、地方自治法により地方自治体に与えられた権限として、同法19条に基づいて定められた基準ということになります。
四、 憲法14条との関係
では、ある職種についての採用要件として、たとえば「大卒程度の者」と「高卒程度の者」という受験資格の区分が設けられ、「高卒程度の者」から大学卒業者が除外されていることに問題はないのでしょうか。
このような受験資格が設けられた場合、大学卒業者は「大卒程度の者」区分の試験しか受験できませんが、高校卒業者や専門学校卒業者は「大卒程度の者」の採用試験を受験できることになります。
公務員試験を受け公務員となり得べき権利は、「公務就任権」として憲法15条で保障されているはずです。公務就任権は、民主制の過程において公務の担い手となることを保障する重要な権利です。この受験資格要件は、大学卒業者の公務就任権を、高校卒業者等に比して不当に制限するものではないでしょうか。
憲法14条1項は、「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定しています。
この「社会的身分」とは、「人が社会において占める継続的地位のことをいう」と解釈されているところ(最高裁判所大法廷判決・昭和39年5月27日)、学歴は「その者が社会において占める継続的地位である」といえるでしょう。したがって、学歴による差別は、憲法14条1項に違反することになります。
それならば、地方公務員採用試験において「高卒程度の者」から大学卒業者を除外する一方で、「大卒程度の者」の区分の採用試験を高校卒業者や専門学校卒業者が受験できると定めることも、差別―いわゆる「逆差別」―といえるのではないでしょうか。
ただ、同条同項が定める「平等」とは、国民全員が完全に平等に扱われなければならないという意味ではありません。「十人十色」という言葉があるように、各個人は、年齢、能力、その他の属性において様々です。それにもかかわらず、すべてにおいて個人を完全に扱うことはほぼ不可能なばかりか、逆に不平等な結果をもたらすことになりかねません。
そこで、「平等」とは、「個々人の事実上・実質上の差異を前提として、同一の事情と条件の下では均等に扱うこと」をいい、差異を考慮した合理的な区別は許される、と解されています(最高裁判所大法廷判決・昭和48年4月4日)。
地方公務員採用試験において「高卒程度の者」から大学卒業者を除外する一方で、「大卒程度の者」の区分の採用資格を高校卒業者・専門学校卒業者に認めることも、「合理的」な区別の範囲内であれば、憲法14条に違反しないことになります。
五、「合理的」な区別といえるのでしょうか
地方公務員採用試験について「高卒程度の者」から大学卒業者を除外する一方で、「大卒程度の者」の採用試験に高校卒業者・専門学校卒業者に受験を認めているのは、どのような理由に基づくのでしょうか。
1つの立場は、「高卒程度の者」から大学卒業者を除外する目的は、高校卒業者・専門学校卒業者の地方公務員への就職の道を確保することにある、と考えます。
つまり、大学卒業者は高校卒業者・専門学校卒業者よりも知識能力の面で有利なので、両者が同じ就職試験で争えば、前者が多く合格する一方で後者はほとんど就職できなくなるおそれがあります。
もとより、私企業にあっては、企業間の競争が激しい上、雇用・採用の自由がありますから、身体障害者等に対する処遇を除いてこのような配慮はなされないのが現実です。
しかし、地方公共団体が、その地方の社会経済的事情にかんがみて、低学歴者を就職難から救済すべきであると考えたときは、その必要に応じて低学歴者に有利な要件を定めても許されるのではないか。
このように考えると、「高卒程度の者」から大学卒業者を除外することは、「合理的」な区別であることになりそうです。同時に、「大卒程度の者」の採用試験に高校卒業者や専門学校卒業者が受験できるとするのも高校卒業者・専門学校卒業者を保護しすぎることにならず、「合理的」な区別の範囲内といえます。
このように考えると、憲法14条に反しないことになります。
これに対し、地方公共団体の行政は、民主的かつ能率的に運営されなければならない(地方公務員法第1条)から、公務員も職務遂行の必要に応じ最低限度の学力を有する必要がある。そのために「高卒程度の者」との規定がなされているのだ、と考える立場があります。
そうだとすると、「高卒程度の者」との受験資格がある場合に大学卒業者が排除される合理的理由はないと考えられ、不合理な差別にあたり違憲である、との結論になりそうです。この立場では、高校卒業者・専門学校卒業者も「大卒程度の者」と同等の学力があれば受験できるのは当然だ、ということになります。
さて、皆様はどのようにお考えになるでしょうか。
アンケートにお答えいただき、皆さまの積極的な意見も書き込んで下さい。
- 採用区分を設ける趣旨は高校卒業者・専門学校卒業者の公務員への就職の道を確保することにあるから、「高卒程度の者」としている採用試験に大学卒業者は受験できない。
- 採用区分を設ける趣旨は公務の遂行に必要最低限の学力を担保することにあるから、「高卒程度の者」の採用試験に大学卒業者の受験を認めるべきである。