一、なぜ問題となっているのでしょう
現在、教育基本法改正の議論が活発になされています。改正案での最大の争点は、教育基本法に「我が国と郷土を愛する」(以下、「愛国心」という)を盛り込むべきではないか、というものです。このような考えは、個人主義が重要視されすぎている現在の日本社会で日本人が古来大切にしてきた礼節や親孝行という価値観が失われつつあることに鑑み、もう一度わが国の優れた文化を再認識して、「秩序ある道義国家」を足元から築いていくために、教育基本法に「愛国心」を盛り込むべきだとしています。その背景には、現在の家庭の崩壊や犯罪の増加によって日本の社会が荒んでいることに鑑み、わが国の「和を重んじる伝統と文化の尊重」をもう一度見直すべきであるという考えがあります。これに対し、「愛国心」を教育基本法に盛り込むと、過去の歴史からみて戦前・戦中の国粋主義につながるおそれがある、他の国よりも自国を優先する意味合いが強すぎる、内心の自由が侵される、といった理由から反対する意見があります。
さらに、教育基本法は成立過程やその基本思想から憲法と一体性をもっているため、教育基本法改正と同時に憲法改正の議論まで生じています。
そこで今回は、日本の将来を担う子供の教育に関わる教育基本法改正問題について皆様と一緒に考えてみましょう。
二、教育基本法とはどういう法律でしょうか
教育基本法とは、1947年に公布された日本の教育制度の基本原則を定める全11条からなる法律のことをいいます。前の年に公布された日本国憲法の思想を受け、民主主義的な教育理念を掲げたもので、具体的な制度などには触れていません。教育基本法は、設立経緯や条文内容からも憲法と一体性をもっており、憲法に準ずる「準憲法」と考えられています。教育基本法の前文では、「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」と規定しています。
三、今回の改正案の要点
平成18年4月13日、与党教育基本法改正に関する協議会において、前文と全18条で構成される教育基本法改正の与党案が決定されました。その前文では「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」とする基本理念を掲げています。
改正案では、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文言が盛り込まれています。また、義務教育については、幼児教育を含める年限延長を視野に、「9年」と定めている規定を削除しています。
新たに盛り込んだ「生涯学習の理念」では、「あらゆる機会に、あらゆる場所において学習すること」を可能とする社会の必要性を明記しました。
四、諸外国の教育基本法に相当する法律はどうなっているのでしょう
アメリカ・ドイツでは、教育に関する事項は基本的に州の専権事項とされているので、連邦レベルでわが国の教育基本法に相当するものはありません。ただし、具体的な全国教育目標を定めた法律はあります。イギリスでは、わが国の教育基本法に相当するものはありません。一方、フランス・韓国では、教育基本法が制定されています。また、中国では、教育法が制定されています。
もっとも、愛国心の育成といった国家主義的な教育目標をはっきりと打ち出している国はほとんどありません。
五、教育基本法に「愛国心」を盛り込むことの是非について
国家が法律に盛り込むことによって「愛国心」を強制すべきでしょうか。この問題については、賛否両論あります。
反対の立場を採る理由には様々あります。主なものを以下に挙げてみます。
- 1、憲法19条違反
- 憲法19条は、「思想および良心の自由は、これを犯してはならない」としています。これは、個人の思いや考えを尊重し、保護しようとするものです。教育基本法に「愛国心」が盛り込まれると、愛国心教育が強制されることになります。そうすると、学校教育は、子供自身の思いや考えに反しても、和を重んじる伝統と文化、つまり協調性を教え込むことが中心となります。また、教員も愛国心教育に反するようなことを教えることができなくなり、多くの教員が教育内容に疑問を抱いたとしても、教育委員会から「これは愛国心の現れだ」と言われると、その方針にしたがった内容を教えなければならないことになってしまいます。このようなことは、思想・良心の自由を保障した憲法19条に違反すると考えるのです。
- 2、憲法20条違反
- 憲法20条1項は「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と規定しています。「愛国心」が盛り込まれると、学校教育において、愛国心に反する宗教の信仰が許されなくなります。つまり、信仰や宗教をもっている子供や教員は、その教えと異なる価値観を押し付けられることになりかねません。このようなことは憲法20条1項に反し許されないと考えるのです。 さらに、憲法20条3項は「国およびその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めています。「愛国心」は一種の宗教的価値観であり、教育行政や国家権力による「愛国心」教育の強制は、憲法20条3項の規定に反し許されません。
- 3、憲法21条違反
- 憲法21条1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」としています。「愛国心」教育が強制されると、それに反する意見や思いを表現することが許されなくなります。子供や教員は、自分の表現が「愛国心」に反しないかを意識しなければならなくなり、ひいては自己を表現することができなくなってしまうことになり、憲法21条1項に反します。
- 4、憲法13条違反
- 憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される」としています。「愛国心」教育は、「和を重んじる」伝統と文化の尊重、つまり個性よりも協調性が重視されます。そうすると、少数派は協調性を欠くとして、爪弾きにされてしまう可能性があります。このような状況では個人が尊重されているとはいえず、憲法13条に違反します。
以上に対し、賛成の立場をとる理由にも様々あります。そのうち主なものを挙げてみます。
- 1、「愛国心」教育は家庭崩壊を抑止することになる。
- 幼児虐待や家庭内暴力のなされている家庭があります。また家族間の会話のない家庭が少なくありません。「和を重んじる伝統と文化」の尊重を教育することで、家庭内でも「和」を重んじることになります。つまり、親子間、夫婦間で互いに話し合い、助け合う心を持つことで、円満な家庭を築くことができると考えるのです。
- 2、「愛国心」教育は犯罪を抑止することになる。
- 「和を重んじる伝統と文化」を尊重することで、他人間にも相互に助け合う心が芽生え、他人に迷惑をかけてはならないという思いが強くなります。それに従い、他人に迷惑をかけてしまう犯罪も必然的に減少することになると主張しています。
- 3、「愛国心」教育は国際貢献につながる。
- 「和を重んじる伝統と文化」を尊重する教育は、他人間相互の助け合いの心を芽生えさせます。それは、日本人相互間だけでなく諸外国の人との間にも助け合いの心を持つことになります。この点から、多くの日本人の諸外国に対する援助・支援活動が期待できると考えています。
結局、反対する人達が憲法を根拠にするのは、愛国心教育の中に戦前の礼節や親孝行を重視した儒教的価値観を見い出し、この価値観が戦前の国家主義・全体主義の基礎になったとの思いがあるからでしょう。戦後の憲法はこのような価値観を否定し、「個人の尊厳」を何よりも重要な価値として出発したと考えています。
これに対し、賛成する人達は、個人を大事にすることも結構だが、現在の日本の社会では個人主義の行き過ぎから多くの弊害が家庭や社会に出ている。この個人主義の行き過ぎを修正するものとして日本人が古来大切にしてきた礼節や親孝行、思いやりを愛国心教育で再び取り返そうと考えているのでしょう。
さて、あなたはどう考えますか。
以上