第6回
検察官の主張(1)―起訴状(要旨)
公訴事実
被告人・安藤孝之は、平成・・年・月・日午前8時ころ、東京都墨田区亀戸4丁目亀戸レジデンス内、栗原不動産株式会社において、中村 芳次郎(当時71歳)を殺害しようと企て、所携の髭剃り用小刀(刃渡り約7センチメートル)で同人の頚動脈を突き刺し、よって、そのころ、同所において、同人を頚動脈裂傷に基づく出血性ショックにより死亡させて殺害したものである。
罪名及び罰条
殺人 刑法199条
検察官の主張(2)(要旨)
被告人・安藤孝之(46歳)は、設計図面を作成する事業所を経営していたが失敗し、持ち家を手放すとともに妻子とも離婚、別居することとなり、この数年間は路上生活を余儀なくされていた。しかし、再び事業を起こそうと考え、かねて面識のあった被害者(中村不動産株式会社会長 中村芳次郎)に助力を得ることを計画し、断られたときは暴行・強迫の手段に訴えてでも被害者を翻意させ、これに対する同人の抵抗如何によっては殺害してもやむをえないと決意のうえ、同人方を訪問した。
ところが被害者は、被告人の生活の不安定、信用の欠如等を指摘して助力を拒絶したため、被告人は再起の可能性を絶たれたと感じ失望するとともに、自己の人格を否定されたと思い込み、かねて準備した髭剃り用小刀にて、同人の頚動脈を力任せに数回突き刺して切断し、間もなく、同所において、その刺創に基づく出血のため同人を死亡させ、殺害の目的を遂げたものである。
被告人のおかれた環境には汲むべき事情があるが、犯行はおよそ自己中心的な動機に基づくものであり厳しく罰せられるべきものである。
被告人に懲役12年を求刑する。
弁護人の主張(要旨)
被告人は、犯行現場に赴く以前の段階では被害者に殺意は抱いておらず、傷害の故意があったのみである。
また、犯行現場で被害者と対面する前の段階においても、被害者の拒絶、抵抗という条件付きであることから、いわゆる条件付故意に該当する。
すなわち、本件では、いまだ被告人の意思に左右されうる条件が付され、確定的とはいえない。したがって、殺意は認められない。
よって、殺人罪は成立せず、傷害致死罪が成立するにとどまるものである。
最高裁判所の判断(要旨)―参考・最高裁昭和59年3月6日決定
殺意の成否につき、一連の計画の内容においては被害者の殺害を一定の事態の発生にかからせていたとしても、殺害計画を遂行しようとする意思が確定的であったときは、殺人の故意に欠けるところはない。
そして、殺意自体が未必的なものであったとしても、実行行為の意思が確定的であったときは殺人の故意の成立に欠けるところはない。
よって、殺人罪が成立する。
(了)