1 3通の起訴状
世間は「犯人逮捕」の報に安堵した。
石井は過去に2度、やはり覚せい剤取締法違反で有罪となっていた前科を持っていたため、14年余りの年月を経て突然容疑者が逮捕されたことに疑問を持つ声も少なかった。
3件のうちの1件が時効完成直前であったこともあり、捜査本部はようやく面目を保てた観があった。
石井直也が被告人とされた連続殺人事件について、起訴状に記載された各公訴事実は以下のとおりである。
起訴状は、それを読んだ裁判官が「この者が犯人であろう」との予断を持つことを防止するため、ごく簡潔な記載となっている。また、同じ理由から、審理開始までに検察官が裁判所に提出できるのは起訴状だけであり、証拠を添付することも法律で禁じられている(刑事訴訟法256条)。
- 1 平成14年7月2日付け起訴状記載の公訴事実
- 被告人は,平成元年1月25日午後8時ころから午後9時ころまでの間に,K市H区大和大路東入るN町内の路上に停車中の軽四輪貨物自動車(K・・せ・・・・)内において,同乗中の山本弘子(当時37歳)に対し,殺意をもって,その頸部等を手で絞めるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を窒息死させて殺害したものである。
- 2 平成14年7月7日付け起訴状記載の公訴事実
- 被告人は,昭和62年7月8日午後10時ころから午後11時ころまでの間に,K市S区九条下河原町内の路上に停車中の普通乗用自動車(K・・た・・・・)内において,同乗中の竹下みち江(当時48歳)に対し,殺意をもって,その頸部を手で絞めるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を窒息死させて殺害したものである。
- 3 平成14年7月30日付け起訴状記載の公訴事実
- 被告人は,昭和63年12月7日午後8時ころ,K市S区西木屋町内の路上に停車中の軽四輪貨物自動車(K・・せ・・・・)内において,同乗中の藤沢加奈子(当時50歳)に対し,殺意をもって,その頸部を手で絞めるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を窒息死させて殺害したものである。
求刑は、竹下みち江殺害について無期懲役、藤沢加奈子及び山本弘子殺害について死刑であった。
2 起訴まで
捜査本部によると、石井直也は事件発覚当初から重要参考人として浮上していたという。
それは、事件の1ヶ月ほど前、石井が現場付近のレストランでトラブルを起こしたためだった。
この店は女坂入り口にあり、昼夜とも人の出入りが頻繁にある人気店である。そのため、常連でもない客の来店を店員がいちいち覚えていることはない。しかしその日、20代半ばと思われる男が軽貨物自動車を乗りつけ、駐車場へ移動しておくよう声高に求めた。それで案内係の記憶に残っていたのである。
「この店に軽トラで来るお客さんはいませんから、よく覚えています」
男の様子については、
「すぐキレそうな、短気な感じで、恐いと思いました」
被害者・山本弘子の写真を見せたところ、
「お連れさんは少し離れた歩道に立っていたため、この女性かどうかはっきり分からない。しかし、年恰好は似ているように思う」
との証言を得た。
3死体発見現場である崖は観光客が行くような場所ではない。犯人はK市に居住したことがあるか、K市で働いたことがある者など―いわゆる土地鑑のある者―と思われた。
そこで、薬物前科のある者のリストから、K市在住者で軽貨物自動車を所有する者を洗い出したところ、石井直也が浮かんだのである。
案内係に写真を見せたところ、男は石井であると確認された。
石井に対し、任意ではあるが過酷な取り調べが開始された。その結果、石井は一度は3人の殺害を認める自白をするに至った。
捜査本部はさらに物証を求めて努力した。それは、自白がその者に不利益な唯一の証拠である場合には有罪とされないことが、法律で規定されているからである(刑事訴訟法319条2項)。これは、自白のみで犯人と判断することを認めると、自白を得るための過酷な取調べや拷問による捜査を助長することになりかねないからである。
この規定がある以上、格別の物的証拠がない場合に検察が勝訴することは難しい。しかし当時、石井が3人を殺害したことを直接に裏付ける証拠は得られずじまいであった。
― 起訴は見送られた。
それから14年近い年月が流れて、本件公訴は提起された。しかし、何ら新証拠が発見されたわけではなかった。
(続く)