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無罪推定―3通の起訴状 第四回

合理的疑いを超えて

1.山本弘子殺害に関する検察官の主張(要旨)

 検察官は、弘子の実妹の証言から、被告人が弘子の唯一の交際相手であること、失踪当日夜に同女を電話で呼び出したのは被告人であること、失踪後短時間のうちに殺害されていること、同女の乳房に被告人の唾液が付着していること、被告人車両の助手席シートに同女が殺害される際に失禁して生じたと認められる人尿の付着があったこと、被告人以外の容疑者が浮上しなかったことなどの客観的事実を考え合わせると、被告人が同日夜、些細なことで激高し同女を殺害し、死体遺棄現場に投棄したとしか考えられない旨主張した。

 裁判所の判断(要旨)

 (1)「被告人が弘子の唯一の交際相手である」との主張について
 同女の交友関係について証言した実妹も、その交友関係全体を知りえたわけではない。また、平成元年1月当時、同女は電話による呼び出しを受けて夕食後に外出することが多かったと認められるが、週の半分程度という外出の頻度からすれば、被告人以外の人物からの呼び出しによっても外出していた可能性が高い。
  したがって、被告人が同女の唯一の交際相手であることを前提に、1月25日に電話で同女を呼び出したのが被告人であったと認定することもできない。
 (2)「弘子の乳房に被告人の唾液が付着していたこと」について
 同女の乳房に付着していた被告人の唾液について、同女の膣内に残存した被告人の精子の状況からすると、その性交渉は死亡の約1日前頃されたと認められる。そうすると、被告人が同女と1月24日に性交渉を持ったのであれば、唾液はその際に付着したことも充分考えられる。
  そして、同女が1月24日夜に外出してから1月25日に失踪するまでに入浴したとの事実は認められないから、同女死亡時において上記唾液(24日の性交渉の際付着したもの)が同女の乳房に付着したままであった可能性も充分認められる。
  検察官は、被告人の唾液は1月25日の失踪当日に同女と性交渉を持った際に付着したものであると主張する。
  しかし、以上のように、被告人の唾液が同女の乳房に付着していた事実は被告人が1月25日に同女と接触したことのみを推認させるものではなく、1月24日に接触した事実をも推認していることからすると、唾液付着の事実は被告人の犯人性を積極的に推認するものとはいえない。
 (3)被告人車両の助手席シートに同女が殺害される際に失禁して生じたと認められる人尿の付着があったことについて
 同女が殺害時に失禁していたことは、そのパンティー等に尿が付着していることからも明らかである。したがって、被告人の助手席シートに尿の付着が認められることは、上記失禁の事実と符合しており、被告人の犯人性を推認する重要な証拠といえる。
  ただし、同助手席シートに付着していた尿の血液型は不詳ということであり、その人尿と同女の結び付きが積極的に立証されているわけではないから、その証明力にはやはり限界がある。その一方で、被告人の服役中に被告人車両が他人に貸与されていたことから、被告人が了知していない範囲で同車両の助手席シートに人尿が付着する可能性も否定できない。・・・
 (4)被告人以外の容疑者が浮上しなかったことについて
 検察官は、捜査の初期段階から被告人が容疑者として浮上し、その後の捜査で被告人以外の容疑者は現れなかった上、平成元年10月の取調べで被告人が弘子らの殺害について自白するに至っており、このような一連の捜査の経緯を見れば、被告人が弘子らの殺害の犯人であるのは明白である旨主張する。
  しかし、そもそも犯人性は捜査の結果得られた証拠資料によって認定するものであって、捜査の経緯・状況そのものは犯人性を基礎づける事情とはなりえない。
  また、弘子殺害に関してどのような捜査がなされ、その程度犯人の絞り込みがなされていたかその詳細が明らかではない以上、他に容疑者が浮上しなかったことが被告人の犯人性を裏付ける事情になるとは到底いえない。

  以上の事情を総合すると、1月25日に被告人と同女が接触した可能性が相当程度あると認められるものの、それはあくまでも可能性の範囲内にとどまっており、合理的な疑いを超えて被告人が同女を殺害した犯人であると認定することはできない。

2 竹下みち江、藤沢加奈子に関する検察官の主張(要旨)

みち江が行方不明になった状況や死体発見の状況から、山本弘子を殺害した犯人がみち江も殺害したと認められること、被告人以外に同女殺害の容疑者は浮上していないこと等を考え合わせると、被告人は同日夜、帰宅途中の同女を見て同女と性的関係を持ちたいと考え、自動車に乗せて強姦し、その後殺害して死体遺棄現場に投棄したと認められると主張した。
  藤沢加奈子についても、ほぼ同様の主張をした。

裁判所の判断(要旨)

 しかし、被告人が山本弘子殺害犯人であるとは認められないことは前述の通りである上、被告人がみち江と面識があったとの確たる証拠は何ら存在せず、同女が失踪した日に被告人が同女と接触したことを裏付ける証拠は見当たらない。
  さらに、被告人以外に容疑者が浮上しなかったとの主張も、同女殺害の容疑者がある程度限定されている場合において消去捜査によって被告人に絞り込まれたとするのであればともかく、いかなる人物が同女を殺害したのかその犯人像が全く絞れていない本件の事情にかんがみれば、およそ犯人性を裏付ける事情とはいえない。
  藤沢加奈子殺害についても、被告人の犯人性を裏付ける事情は認められず、被告人の犯人性を肯定できない。

(続く)

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