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虐待の果てに ― ある幼児の死 第六回

第6回

 武は自分を疎ましく思っている。いや、疎ましいのは自分ではなく、自分の娘なのだ。娘の愛奈に構えば構うほど、武は不機嫌になる・・・。
  しかし倫子は、武と別れてマンションを出る気にはなれなかった。女ざかりの倫子に一人暮らしは淋しすぎた。
  それに、一人暮らしの厳しさは身に沁みていた。家事の苦手な自分が、一人で仕事と子育てをこなす自信もなかった。第一、ここを追い出されたら、一体どこに住めばいいのか。 
  娘はいつか生活の重荷となって、倫子を圧迫しはじめていた。
  愛奈は6畳の和室に寝かせていたが、これが武の気に障るらしい。倫子は、愛奈を和室から出すことを考えた。しかし、他にはリビングに4畳ほどのキッチン、バスとトイレしかない。
  クローゼットや物入れがあればいいのだが・・・倫子はベランダに出すことを思いついた。

 「愛奈、ちょっと起き」

 倫子は和室に入り、昼寝をしていた娘を抱き起こした。

 「こっちへおいで」

 倫子はリビングに面したサッシを開け、ベランダに出て、手招きをした。
  愛奈は珍しそうについてきて、ベランダを見た。ベランダは長さ3メートル、奥行き1メートルほどのコンクリート造りで、アルミ製のパイプ柵で取り巻かれている。
  ベランダの外は砂利が敷かれた空き地であり、空き地の向こうには公道が見えた。マンションの1階は駐車場として利用されているため、ベランダの下に居住者はいない。ここなら、人に知られる心配はない。

 「愛奈はな、これからここにおるんやで」

 「愛奈のおへや?」

 「そや。お母さんが可愛いお屋根作ったげるしな」

 「ほんま? お母さんありがとうー。愛奈のおへやや、あたらしいおへやや」

 「大きな声出したらあかんよ。お利口にしとったら、お母さんが覗いたげるしな」

 「うん。愛奈、エエ子にしてる」

 次の日、倫子はベランダに雨よけを作り、パイプ柵にはダンボールを張った。

 ―これで、ベランダの中はどこからも見えなくなった。

 愛奈は、ほとんどの時間をベランダで放置されることになった。食事と入浴のときだけは部屋に入れたが、済むとすぐに出された。
  しかし、少し痩せ始めてはいたが、まだ元気であった。無邪気にベランダの中を動き回り、歌を歌ったりした。夜は倫子が与えた肌掛け布団にくるまって寝た。

 武はその日も酔って帰宅した。
  無人の和室を一瞥したが、倫子に尋ねることはなかった。

(続く)

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