音楽や映画などの情報財は著作権によって守られ、独占市場を形成している。独占であれば価格をどう付けるのも販売側の勝手で、いろいろ作戦を考える余地が生まれる。
例えば、自作の音楽をネットで販売することを考えよう。値段をいくらに設定したらよいだろう。100円なら買うという人と50円なら買う人がいるとしよう。100円という値段を付ければ、1人にしか売れない。50円なら2人に売れるが、総売り上げはやはり100円だ。しかし、どうせコピーはタダなのだから、一方には100円で、他方には50円で売りたい。そんなうまい方法がないだろうか。
情報財の価格は、限界費用がゼロ(コピーにコストがかからない)ので、需給では決まらない。供給に費用がかからないので、消費者の支払い意思額(willing to pay)だけが鍵となる。100円で買いたい人には100円で、50円で買いたい人には50円で売れれば、それに越したことはない。
要するに消費者をグループ分けし、各グループに対して別な価格を付ければいい。これを価格差別化戦略という。価格差別化戦略は情報財だけではなく、限界費用が実質的にゼロの財(例えば、空いている航空機の座席)にも使われる戦略である。
そういえば、同じソフトに違う値段が付いていて変だなと思った経験がある。
ワークステーションのソフトとPCのソフトは、本質的には同じものなのだが値段が10倍も違う。ワークステーション版はプロ仕様と言うが、PC版でいくつかの機能を敢えて使えなくしただけのことも多い。価格が製造コストで決まると思い込んでいると分かりにくいのだが、人々の支払い意思額で決まると思うと理解できる。
高いワークステーションを購入できる組織は高いソフトも購入できるが、安いPC購入者はソフトに多くを払えない。要するに、顧客を払えるグループと払えないグループに分けて、別の価格を設定しているだけのことだ。価格は消費者の映している鏡に過ぎない。
そう納得すると、世の中全てが価格差別化戦略の結果に見えてくる。
アカデミックディスカウントは、ひょっとすると学術への貢献じゃないんじゃないか。豊かな企業からはたっぷり、貧しい大学からもそれなりに料金をとるための仕組みじゃないか。週末をまたがる航空券が安いのは、個人客とビジネス客に違う値段をつけるためじゃないか。新聞についているクーポンは、裕福な独身ビジネスマンと家計を切り詰める主婦に違う値段をつけるためじゃないか。インターネットで予約するとホテルが安いのは、インターネットユーザが安いホテルを熱心に探す人たちだからじゃないか、などと考え始める人は情報学の研究に向いている。