第3回
倒れてから14年、親父は枯れ木のようになりながら、かゆを食っては排泄物を垂れ流す日々を送った。その間に私は専門学校を卒業した。設計会社に転職活動をすることも考えたが、同じ技術があっても学歴がない私は不利だった。
同じ働くなら、何とか開業資金を作って独立したい。だが、少し前までチンケな工員だった私が銀行に頼ることはできなかった。私はわずかな退職金で高級ブランデーを買い、工場で特注のゴルフクラブを作らせていた不動産屋や金貸し業の社長連中に挨拶回りをすることにした。思えばあのときが彼らの全盛時代だったから、まったく世の中はわからないと思う。十数人に挨拶回りをしたが、今でも元気で頑張っているのは2,3人しかいない。
ゴルフクラブを注文する彼らを、成り上がりがゴルフをしやがると悪く言う人も多かった。しかし、彼らには、社会の底辺から叩き上げた者だけが持つ情の濃さがあった。たとえば、彼らはベンツを工場の玄関に乗り付けては、駐車場に回しておくよう言いつける。そして、帰るときにはチップをくれるのであった。それが楽しみで、私は時々、工場の窓から外を覗いたりした。
彼らは見栄からチップをくれただけだったにせよ、そのチップは、裸一貫、商才だけでつかんだ彼らの稼ぎであった。そこいらが小賢しい政治家や役人とは違った。この連中も特注クラブのお得意さんだったが、自分で代金を払ったのを見たことがない。請求書はすべて、支援団体や出入りの業者に回されるのであった。
また、社長達は総じて低学歴であった。それで私でも臆することなく飛び込んでいけたのかもしれない。働きながら技術を身につけたというと、感心して褒めてくれた。ウチの馬鹿息子とはずいぶん違う、と言われると嬉しかった。こんな親父が自分にいたらと、羨ましくもあった。しかし、担保はきっちり要求された。自分の身体のほかには田舎のボロ家しかないと正直に言ったら、生命保険と抵当権をセットで差し出すことになった。
事務所の場所は、亀戸の、小さなテナント用ビルが並ぶ一角に決めた。レジャー施設やゴルフ場の設計図面をパソコンで起こす作業を請け負うのである。私はいつか、景気の拡大とともに高級スポーツ関連施設に多額の投資マネーが動くことに気がついていた。私が場末の運動用品工場で働くうちにも、日本はずいぶん変わったのである。
事務所の屋号は、「有限会社CADセンター」とした。
私は念願の経営者となり、雇い人に給料を払う立場になった。その喜びは今でも懐かしい。はじめは私を入れて3人だったが、そのうち人手が足りなくなり、一人また一人と社員を増やすことができた。何年かは順調に仕事が来た。私は事務椅子を並べて仮眠を取り、何日もアパートに帰らず仕事に打ち込んだ。
大きな納品が済んだ日は、社員を連れて町の焼肉屋などへ繰り出し、ささやかな社長気分を味わった。亀戸は、昔の鳩の町である。戦後40年以上たつのに、いつまでも下品さと侘しさが同居したような雰囲気があった。ときには、錦糸町あたりまで足を伸ばすこともあった。スナックやラウンジで接待をしたのを夢のように思い出す。
しかし、何年かすると、景気にかげりが出てきた。地元中小企業の経営者たちは、この不景気は一時的なもので、好景気はまだまだ続くと意気盛んだった。しかし、私には何とも嫌な予感があった。
― それからわずかの間に、あれほどの景気に沸いた世間は一変してしまった。
親父の棺から顔を上げると、親戚連中が色をなしている。金の話がついたら、すぐ東京に戻ろうと思った。親父の看護費用などを請求されてはたまらない。
「叔父さん、こんな席で悪かけど」
葬儀の後、貧しい仕出し弁当と安酒の徳利を前にして切り出した。
「オイはすぐに東京に帰らんといかん。それで、この家じゃけど、もう置いとく必要も無かろ。
実はオイ、ちょっと商売の資金に困っとるんじゃ。不動産も、今ならちょっと値を戻しよるけん、売るか、担保にして・・・」
「何やと、冗談やなかぞ。わしら夫婦はな、息子らが一緒に住もうっちいうのを断って、ず~っと兄貴の世話ぁ焼いてきたんじゃ。今さら何処へ行けっちゅうんじゃ」
「息子の、良介のところへ行ったらよかろ」
「お前は恩っちゅうもんを知らんのか? ようもそげんこつ言えるな」
心配そうに聞いていた叔母が言い添えた。
「孝之ちゃん、そりゃ無理な話だがね。良介のところも今は子どもが3人いよるし、そのひとりは受験じゃしね。
・・・嫁さんとこもお母さんが悪かけん、いつ引き取らんといけんかもしれんのよ」
「なん、年寄りがいたら勉強できんとか?」
「孝之、そればかりは許さんぞ、どげんしてもち言うなら、弁護士の先生に相談すぅ」私はカッとなって叫んだ。
「何が弁護士か、弁護士ヅレと何の相談しよる。おいちゃんも付き合いが広うなったもんじゃな」
「孝之ちゃん、違うのよ。あのな、孝之ちゃんにも都合があるけんが、お父さんが倒れてからこっち、一銭のお宝送りよるわけでもなかろ。
3年程前、これじゃ薬代が続かんち、弁護士さんに相談したんよ・・・あんたも頼むから、そんな言い方せんで」
「いいや、捨て置けん、先生に相談すぅ」
「勝手にしたらよか、店子やあるまいし、看病で住んでたっち、居住権ができよるか、よう先生に相談してみぃ」
私は怒鳴りながら、権利証と実印のありかを、必死で思い出そうとした。母が亡くなったとき、たしか、親父が権利証と実印を仕舞いこんでいたが・・・。
私は立つと向かいに座った叔父を跨ぎ越え、仏壇の子引き出しを開けて手を突っ込んだ。権利証と印鑑入れが手にふれた。夢中でわしづかみにした。
「何ばする!」
足にしがみつく叔父を振りきり、玄関の木戸を蹴飛ばして、私はそのまま東京に戻った。
(続く)
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