その事故は、平成21年元旦の真夜中に起きた。
場所は、O市K区U駅裏の人通りの少ない交差点。
西へ向かって第二車線を走行していた軽自動車が、時速40キロ近いスピードを落とさぬまま、横断歩道手前で突然第一車線に入り込み、交差点を直行しようとしていたライトバンに衝突したのである。
ライトバンはガードレールを超えて横転し、歩道橋の足桁にぶつかって大破した。運転していた工務店勤務の男性は、フロントガラスを突き破り、歩道橋の鉄製の足桁に叩きつけられた。
軽自動車は、そのまま速度を落とさずに交差点中央部に飛び出した。そして左前車輪をスリップさせ、ガードレール側に横転した。
この衝撃で助手席のドアが開き、前部左座席に乗車していた高山(事件当時23歳、大学生)は道路に投げ出された。運転していた木村(同24歳、フリーター)は頭部からフロントガラスを突き破り、車外に飛び出した。後部座席には二人が乗車していたが、危うく前部座席シートにしがみつき、投げ出されることはなかった。
この日、U駅前は、U天満宮に向かう初詣客で混雑していた。しかし人波は駅前に集中しており、この交差点には歩行者も通行車両も疎らであった。
これが不幸中の幸いであった。車外に投げ出された二人が後続車両に轢かれることだけは、避けられたのである。
開け放たれたドアから冷気が流れ込んできた。横転した車内は暗い。
後部座席の早瀬(事件当時23歳、不動産関係会社社員)は、左後部のドアとゆがんだシートの間で正気に返った。身体も車体と同じように横倒しになっていた。
「おい、大丈夫か?」
隣の席の横山(同22歳、N市職員)に声を掛けた。衝撃と轟音がまだ脳を揺らしている。自分の声が遠くに聞こえ、他人のもののようだ。
「ああ、ちょっと頭打ったすけど・・・大丈夫です」
か細い声が答えた。横山も、シートとドアの間で身動きが取れなくなっていた。
「そうか、・・・。高山と木村はどうした?」
前部座席に人影はなかった。
「外に投げ出されたんじゃないでしょうか」
二人は歪んだシートを倒し、身を捩って車外に出た。そして、様変わりしたお互いの顔を見合わせた。
「お前、ツラが血だらけやぞ」
「先輩も、ずいぶん鼻血が出てます・・・大丈夫ですか?」
「ああ・・・飲んどるからな。こないに出るんは酒のせいやろ」
早瀬は鼻の下を右手でぬぐった。グリっという嫌な音がした。鼻骨が折れたのかもしれない。鼻をふいた手も血まみれになった。息が苦しい。
横山も、頬と鼻から夥しく出血していた。
「一体どうしたんでしょう。急に車が横倒しになって・・・」
「木村のアホが、ちゃんと走らんからや」
早瀬は腹立たしそうにジャケットのポケットをまさぐり、タバコを出して火をつけた。巻きこまれたライトバンはガードレールを越え、さらに歩道も越えて、マンション建設予定の空き地に転がっている。
「運転手さんは大丈夫でしょうか?」
「お前見てこいや」
横山は空き地へ入り、恐る恐る車に近づいていった。
早瀬はその背中を見ながら、酒でぼやけた頭を必死に働かせようとした。
― もし運転手の身体に何かあったら、示談では済まない。警察が来れば、木村はアルコール検査をされ、酒を飲んで運転していたことがばれてしまう。そうなれば、自分たちも危険運転致死傷罪の教唆か幇助の刑事責任を負う可能性がある・・・。
軽自動車に乗っていた4人は友人同志だった。N市に住む早瀬、横山、木村の3人が、久しぶりに、高山が住むO市に遊びに来たのである。軽自動車は高山のものである。早瀬が高山に、U駅まで車で迎えに来るよう頼んだのだ。
大晦日の夕方電話で話をしたとき、すでに3人が酒を飲んでいるのを知って、高山は車を出すことに気が進まない様子であった。それを、「新年のK港の汽笛が聞きたいから」と言って、強引に車で来させたのだ。
U駅で合流してからしばらくは、高山が運転していた。しかし、仕方なくという体であった。
「自分もここんとこ、ずっと睡眠不足やねん。お前らも飲んでるやろ」
高山はそう言い、何度も「車をどこかにおいて電車で行こう」と提案した。
最後に高山が、「もう疲れたから運転したくない」と言い出したときに、木村に運転を替わらせたのは早瀬であった。早瀬自身も酒がまわり、車を降りるのが大儀になっていたからだ。
そのような経緯では、特に早瀬は責任が重いといえた。
― くそ、会社に知れたら一発で馘や。
早瀬の勤める不動産会社も、この不景気でリストラに躍起になっている矢先である。適当な理由があれば誰であれ、馘にしたいところであった。
― 何とかせんと・・・一体どうしたらええんや?
運転手は車にいなかったようであった。薄暗い中で、横山が空き地を探すのが見える。
横山は空き地を探した後、歩道橋に近づいていった。
階段の下に誰か倒れている!
(続く)