鑑定人の判断(1)
しかし、被告人の犯行時の行動には、ひとつ奇異な点があった。
殺害行為時は、異常に攻撃的である。
被害者を部屋中追い回し、階段を駆け上がりながら、包丁を背中に複数回突き立てた。それでも息の根が止まらないと知るや、叫び助命を請うのを無視し、髪の毛をつかんで浴室に引きずり込んだ。それは被害者の頭髪が全量の4分の1失われるほどの強力なものである。
次いで、被害者が手足をばたつかせると、動けないようにするため掌に包丁を突き刺して自由を奪い、その上で浴槽に何度も沈めている。浴槽に沈めた行為も強力であり、被害者の鼻骨は浴槽の底にぶつかって骨折し、形をとどめないほどに損壊されているのである。
他方、死体損壊時の行為は、様相がまったく異なる。
被告人は自分の身体をきれいに洗うと、浴室を出て鋸を取りに行く。次いで死体を左右対称に切断し、それぞれを10部に解体して、各片を水道水で丁重に洗っている。
これらの行為はまるで職業的な肉類解体業者の作業のようであり、その各過程に攻撃性や突発性は全く認められないのである。
鑑定人は、この一見矛盾する傾向に困惑した。しかし熟慮の結果、以下のように判断した。
まず、殺人行為と死体損壊行為の精神状態は別個に考えるべきである。被告人はアスペルガー障害による、二重構造を持った人格を有していた。謙虚・従順とみられていたが、実はそれらが内面の攻撃性を覆い隠していたといえる。
そのような攻撃性は、日常生活において、人と関わり、友人関係などを構築する中で解消されたり是正されたりする。いわば生活する中で鎮静されていく。
たしかに、被告人は少年時から友人も持たず、他者との関わりを避けて読書による空想的世界に没入する傾向があった。しかし、自分を理解し愛情を注いでくれる両親との関係によって、被告人の孤独は癒され、人間的関係を享受することができていた。
しかし、被害者との結婚後は、不和と立場上の責任から孤独感を強め、犯行前半年ほどはいわゆる引きこもり状態になって、周囲との接触を断っていた。もともとアスペルガー障害に罹患していた被告人は、きわめて自我を喪失しやすい状態にあったといえる。
その結果、被害者から投げつけられた心無い言葉によって、攻撃的性格に対して働いていた抑制力が失われた。
―ただ、被告人には、人を殺してはならないという意識は十分にあった。面談においても、後悔や贖罪の感情が確認されている。
その事実を考慮すると、被告人は殺害行為時に責任無能力というべきではなく、是非弁別能力とそれに従って行為する能力はあったと判断すべきなのである。
(続く)