ホーム > なっとくアンケート > 出生前診断に基づく人工妊娠中絶を認めるべきか > 投稿一覧

皆で考えよう!法の建前と現実

【質問】出生前診断に基づく人工妊娠中絶は認められるべきか
(投票総数:365票)

認めるべき 
269票 (74%)
認めるべきでない 
96票 (26%)

投稿一覧

認めるべき

差別といわれるかもしれないけれど、自分の子供が障害者だったら育てる自信がない。思い悩んで最悪の事態になるくらいなら、最初から中絶した方がいいと思います。

リン(愛知・30代後半・女性・専業主婦/主夫)

1月16日 21時58分

認めるべき

産み分けのための中絶には賛成できないが、遺伝的な疾患の可能性がある場合など選択肢のひとつとして認めるべきだと思う。
障害があっても尊い命には変わらないと思うが個人的な事情に他人が介入して無責任なことはいいたくないので

こげパン(京都・40代・女性・専業主婦/主夫)

1月14日 17時39分

認めるべき

積極的に認めるべきと思います。
確かに生まれてくる子供の人権も有りますが、親としての立場では現在障害者自立支援法など社会は必ずしも障害者に優しくない社会です。
経済的に不自由ないならともかく、一般家庭ではそれも難しいのではと思います。 自分が生きている間なら支えていけるかもしれませんが、自分が亡くなった後を考えるととても不安です。
また、子ども自身の気持ちにおいても、障害者であるための差別(障害の程度にもよりますが)もあるのではと思います。

P(山口・30代後半・女性・パート/アルバイト)

1月14日 10時15分

認めるべき

診断する方は産みたいと思っているからこそ診断する前提が有ると考えてます。診断結果に問題なければ出産、問題あれば次の機会を試せると思う。ほしい人には積極的に取り入れていいと思います。これは子供がほしいと考えてる事を前提してますが。 ではもともと産みたくないと考えてる人はどうでしょうか? 出生前診断とは無縁と思います。そもそも育てて行く環境に問題が有るとすれば即堕胎と考えます。

sabo(北海道・30代前半・男性・通信/運輸)

1月14日 10時4分

認めるべき

出生前診断によって先天的な異常を発見できるのであれば、人工妊娠中絶を認めてもよいと思います。社会全体の負担を減らし、過酷な運命を背負う人々の誕生を事前に回避できる点がメリットであると考えるからです。

1人の障害者の方が生活していくためには、周囲の関係者に大きな負担が発生します。
障害者の生活を支える家族の負担は大きいです。介護は重労働ですし、精神的苦痛も大きい作業です。世間の蔑みにも耐えていかなければなりません。経済的な負担も増加しますし、自由な時間も少なくなります。
さらに、社会保障費の増加によって国民全体の金銭的負担が増加します。
そして障害者本人は上記に述べたことをよく理解していて、精神的苦痛を感じながら生活しています。本人の身体的負担も、もちろんあります。

このような過酷な運命を送る人々が誕生することを、出生前診断によって予見し、中絶によって回避できるのであれば、日本の社会にとってメリットになると思います。ですから私は、出生前診断による中絶を認めることに賛成です。
このような制度が出来ると障害者の方々の精神的負担が増加するという意見があるようですが、これはやむを得ないと思います。

N.N(沖縄・30代前半・男性・医療機関)

1月13日 22時38分

認めるべき

経済的な理由で中絶が認められているなら、胎児に先天的な異常があった場合も中絶を認めてもいいのではないかと思います。

法律はともかくとして、産む人は胎児に障害があるとわかっていても産むだろうし、産まない人はたとえ胎児に異常がなくても理由をつけて中絶しているのが現状だと思います。

「何が何でも産まなくては駄目」「異常が見つかったら中絶しなくては駄目」と言うような極端な考え方ではなくて、「異常が見つかったら、中絶しても良い」という選択肢が認められても良いのではないかと思います。

SN(神奈川・30代後半・女性・学生)

1月13日 10時43分

認めるべき

産んで育てるのは母親です。他人がきれいごとを言うものじゃないです。
後天性の障害なら仕方ないですが、先天性の障害がわかって産むのはエゴです。
仮に、分かった上で産んでその子供が「産んでくれてありがとう」と言っても本心からそう思っているか疑問です。
自分に当てはめて考えてほしい物です。

あさり(兵庫・30代後半・女性・サービス業)

1月12日 17時28分

認めるべきでない

(1)遺伝子・染色体異常児はヒトに対してある一定の割合で起こる(必然的な)出来事である、とほぼわかっています。しかしそのことがヒトに対してどのような必然性を持っているのかは、よくわかっていません。
(2)ヒトの病気や命はある程度コントロールできるものという漠然とした感覚を我々は持っているように思いますが、私は「錯覚」であると考えています。
(3)よくわかっていない生命現象に対して、断定的な判断をするべきではない、と考え(これを突きつめてしまうとアンケート自体が成立しませんが)、認めるべきでないとしました。

1月12日 昼休み(長崎・30代後半・男性・医療機関)

1月12日 14時0分

認めるべき

あくまでも条件付きで。
重度障害を持っていることがわかれば認めるべきではないだろうか。
理想と現実はあまりにも違う。

ねこ(東京・40代・男性・その他)

1月12日 13時19分

認めるべき

反対されている方々にはおおむね2つの意見があるようです。
ひとつはせっかく生まれた命を親の都合で殺していいわけがないというもの。
もうひとつは、これが認められてしまうと今いる障害者の方々がより虐げられ、法整備がますます整わなくなってしまうというもの。

まず考えていただきたいことは、健常者の方も障害者の方も、もしもう一度人生をやり直せるとしたら、健常者に生まれたいでしょうか。それとも障害者に生まれたいでしょうか。私は現在健常者ですし、正直なところ、障害者に生まれたくはありません。
障害者の方も書き込みをしていますが、世の中にはここに書き込みする能力すら持てない障害者の方もいるはずです。その方々に比べればここに書き込みできる能力を持っているだけ幸せといえるのではないでしょうか。そういった重度の障害を持った方々の意見までその方々に比べれば程度の軽い障害を持った方々の意見で代弁できるものではないと思います。

別に出生前診断の結果による中絶が認められたとしても、それが必ずしも「障害者は殺せ」という風潮にはつながらないと思います。あくまで「選択権」であり、「強制される制度」ではありません。出生前診断を行わない権利もありますし、中絶を行わない権利もあるのです。逆に、「たとえ異常が分かっても絶対に産め」という強制の方が恐ろしいことではないですか? そのようにするのであれば、出生前診断自体を禁止すべきです。
中絶が認められた結果、出生前診断を行ってその結果によって中絶をする人が増えたとしても、それこそが自然の成り行きによる結果なのではないでしょうか。
これが野性動物だったり、大昔であったりしたらたとえ生まれてきても殺されてしまう運命が待っていることと思います。それらに比べたらよほど現代の方が障害者にとって過ごしやすい世の中になっていると思います。

もちろん現在の障害者に対する配慮が十分であるとは思いません。そして、たとえ先天性の障害が出生前診断で分かるとしても、後天性のものは分からないのでしょう。さらには生まれたときには健常者であっても事故や病気などで障害を負うことだって十分に考えられるので、たとえ中絶を認めたとしても法整備をおろそかにすることはできません。
そう考えれば、中絶を認めても障害者への物理的、精神的虐待にはつながらないものと思います。人間の全てが、明日には障害者になっている可能性を持っているのですから。

たった一つ問題があるとすれば、すでに書き込まれた方がいらっしゃいますが出生前診断では異常が見つけられなかったのに生まれてきたら障害を持っていたというケースでしょう。この場合、診断に問題がなかったのかを論ずるのは医師に対して酷な話ですし、障害者を生みたくないと思って出生前診断を受けた親が障害者を生んでしまったのですから、その子供に対する虐待が行われるのではないかという懸念があります。
このあたりの環境をどう整えるのかが課題だと思いますが、やはり事前に障害が分かり、産んだ親、生まれてくる子供に過大な負担がかかることを避けられるのであれば、それを排除できる選択肢があってもいいのではないかと思います。
もっといいのは中絶ではなく、胎児のうちに治療ができてその障害をなくすことができることでしょうけれど、これはここで持ち出すべき話ではないですね。

ねこじゃらし(埼玉・30代前半・男性・製造業)

1月12日 12時51分

   [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

連情報