夏が終わりかけたある日、オーナーがカウンターに四郎を呼んだ。カウンターでは、50代半ばの裕福そうな男が、経営者を相手にアワビの刺身で地ビールを飲んでいた。
「山岸君。こちらはKさん」
「俺。覚えてくれてるよね」
― この男なら知っている。カウンターを指定席にしている常連だ。
Kは、いつも9時ころ、店が一回転したのを見計らったように、ふらりと訪れる。一人で普通の客の3倍は使う、最上客であった。ただ、店にいる時間も長かったから、その間に四郎は何度も彼の席にオーダーを届ける。
「山岸君、もうすぐ上がりだろ。Kさんがね、一杯奢りたいって」
「僕にですか?」
Kは鷹揚に笑った。
「アルバイトしてても、なかなか飲めないだろ。この店、経営者がエグイからなァ」
「やめてくださいよ。Kさんと違って、私ら働かなきゃ食えないんだからね。
...でも君、店の料理食べる機会もないだろうし、いい勉強になるよ。あと予定ないんでしょ」
オーナーの表情は、上客の機嫌を気にして固まっていた。これでは一杯付き合うしかない。
だが終電が気になった。仕事が終わると、いつも一直線に終電に走りこむのである。この時間から飲み出すと帰りの足がない。
四郎の心中を見透かすように、Kが尋ねた。
「どこに住んでるの」
「...高田馬場です」
「それなら一緒に帰ろうよ。俺、新宿なんだよね」
帰りの心配がなくなったからか、久しぶりに口にした美酒が効いたのだろうか。夏の初めから張り詰めていた緊張が、ふと途切れたのかもしれない。
Kの横で飲み始めてしばらく、尋ねられるままに、院での専攻などについて話したことまでは覚えている。
それきり、四郎は意識を失った。
明け方らしく、消灯した部屋の壁が白い。二日酔いの頭が割れるようだった。
― ここは何処だろう。
天井には小ぶりだが優雅なシャンデリアが下がっている。どこかの高級ホテルらしい。足を動かすと、上質のシーツが裸足に触れた。
吐き気がして、胸に手を当てた。素裸であった。
― 何かやっちゃったかなぁ。
ぼんやりと隣に視線をやって、言葉を失った。Kもまた、素裸で、同じベッドに寝ているのだ。見事な筋肉が首から肩に走っている。
反射的に身を起こそうとして、肛門に激痛が走った。その痛みで、四郎は昨夜何があったかを思い知った。