第2回 卒倒
あつ子と夫の間には、一男一女がある。麻美というのは長女の名であった。
麻美は地元の大学を卒業した後、証券会社に勤めていた。しかし、一年と経たずにリストラで失職した。教育費のかかる新人を最初に切り捨てようという、経営陣の判断だった。
経営の合理化のため、有無をいわせず行われた馘首― 第一志望の会社に入れたことを無邪気に喜んでいた20歳すぎの娘にとって、非情というしかない社会の洗礼であった。
思えばその頃から、麻美の性格が変わったような気がする。あつ子は娘の思い出を手繰った。昔は穏やかで優しい気質だったのに、今では父母を驚かせるような物言いをするようになってしまったのだ。
現在はあつ子と同居し、自宅近くの学習塾でアルバイト講師をしている。それなりに時間はあるはずだが、家事の手伝いなど一切しようとしない。もっとも、今どきは、そんな娘が多いと聞いている。親がクラブ活動や受験勉強に専念させるうちに、家事は自分以外の誰かがやってくれるもの、と心得違いをしてしまったのかもしれない。
娘にしてそうだから、息子はさらにひどかった。製薬会社に勤め、一昨年からは東京に単身赴任している。顔を出そうと思えば出せる距離だが― これもまた、何の連絡もない。
子どもらに関しては、もう諦めていた。甘やかして育てたのは、誰でもない夫と私なのだ・・・。それに、やがて結婚でもすれば、自分で何でもしなければならないのだから。―あつ子は自分に言い聞かせていた。
しかし、父親が倒れた後も、子どもらの態度が何一つ変わらないことには、たいそう失望させられていた。
―私の人生は失敗だったかもしれない。こんなの家族じゃないわ・・・
夫の貞一郎が倒れたのは、趣味の登山中である。
夫は以前から登山に興味を持っていた。しかし、在籍した総務部では休日出勤もあったので、叶わなかったのである。退職を待つようにして、地元の山岳会に参加を決めた。
山行前の夫は、まるで子どもが遠足に行くように楽しそうであり、あつ子はそんな姿を微笑ましく見守っていた。
そんなある日、山行途中に倒れた。CT検査の結果、脳梗塞と診断され、すぐに入院が必要だという。
父親が倒れたことを知らされても、子どもらはあまり驚かなかった。あつ子はそれを頼もしく思った。しかし、子どもらが平静だったのは、父親の健康に無関心だからにすぎなかったのだ。二人とも病院には一度来たきり、二度と近づこうとはしなかった。
それでもあつ子は楽観的に考えていた。友人の夫も同じ病気で倒れたが、一ヶ月前後で普通の生活に戻れたと聞いていたからだ。夫が良くなりさえすれば、何もかも元通りになるはずだ・・・。
(続く)
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