第3回
倫子は当初、両親に娘の世話を頼んで、生活を立て直すつもりであった。
しかし両親はすでに年老いて、実家は7歳上の兄が仕切るようになっていた。兄は迷惑顔を隠そうとせず、特に嫁は何かにつけて嫌味を言った。
「ご近所の方がねぇ、お義姉さんはいつまで居られるのか、なんて聞くんですよ」
などと言う。
「この部屋しか空いてないんですよ」
と貸し与えられたのは、3畳ほどの納戸だった。暖房器具もない。老親も、兄夫婦の機嫌を気にして見て見ぬ振りをした。
ホステス仲間の話によると、母子家庭には特別の手当てが出るらしい。扶助が受けられれば、実家を出て子どもと二人で暮らすこともできそうである。倫子も、一日も早く役所に相談に行こうとは思った。しかし、深夜までの仕事と長女の世話で疲れ果ててしまい、一日伸ばしになっていた。前夫の連絡先も、メモを渡されたが失くしてしまった。タクシー会社に電話してみたが、すでに退職したということだった。
倫子が仕事から戻ると、玄関には鍵が掛けられている。兄嫁に合鍵を頼んであるが、「作っておきます」と言うばかりだ。
点けておいたはずの明かりは消され、娘はおむつを濡らしたまま、暗がりで泣いていた。思いがけない親兄弟の仕打ちに、倫子は砂をかむ思いがした。
一人で生きていくことは、こんなに厳しいものなのだろうか。こんなみじめな生活が、一体いつまで続くのか。倫子は次第に、離婚したことを後悔するようになっていた。
武と深い関係になったのはその頃―平成16年4月である。
倫子はもともと、地味なおとなしい女である。もしこのような情況になかったら、武のような男には関心を持たなかったに違いない。生活に倦み疲れていた倫子の方に、心の隙があったといえる。
席について接客するうちに食事に誘われ、間もなく男女の関係になった。武はU駅近くの分譲マンションに住んでいるといい、しきりに同居を勧めた。
「な、一緒に住もうや。ごっつい部屋やで。それにな、セックスのたんびにホテル代払うてたら、勿体ないがな」
武はニヤニヤ笑った。
「・・・一緒には住まれへん」
「何でや?」
「うち、子どもがいんねん。ごめんな、隠しとって」
「何や、そんなことか。構へん構へん、連れて出て来いや」
「一緒でもええの? 嫌いにならへん?」
「何言うとんね。わしも男やで。子ども好きやしな。もうホステスも辞めや」
屈託なく笑う武を見て、どんなに倫子は救われた気がしたであろう。頼もしい夫と可愛い子どもと、もう一度水入らずの生活ができる―。
倫子は意気揚々と実家を出て、武のマンションに引っ越した。
それが地獄の始まりだった。
(続く)