第1回
年明けの平壌は本格的な厳寒期に入る。
大陸から冷気が流れ込み、山河は白一色に凍りつく。市内を流れるテドン川さえ、流れながら凍っていく。取入れを終えた畑も、水分が冷えて氷の板と化す。その寒さは日本内地では体感できないものだ。
昭和20年の正月、平壌の日本総督府では、例年と同様に祝賀行事が執り行われた。本部や各役所に掲げられた国旗、天皇を祀る祝典も、昨年と同様であった。
しかし、何かが違っていた。誰も表立っては口にしなかったが、日本国にとって戦況が危ういことは、在留邦人上層部では公然の秘密となりつつあった。
ただ、それがどの程度の危うさなのか、その時点では誰にもわからなかった。負けたら、もし負けるようなことがあったら、どうなるのか。
想像さえできないことだったが、朝鮮半島や満州にある日本国の本拠地がどのように統治され、在留邦人はどんな扱いを受けるのか。各地各部の最高責任者にも、本当のところは明言できる者はいなかったと言ってよい。
日本内地では食料や物資が逼迫している、という噂が流れていた。しかし、外地では植民地支配が徹底していたために、いまだ切迫感は乏しかった。
そんなわけで、今年の正月三が日も、内地の習慣どおりの正月が祝われた。在留幹部の家庭でも屠蘇が振舞われ、雑煮が用意されたのである。
植民地支配とは、本国の人とその営みを、被植民地に対して植えつけるものである。日本の植民地支配においても、統治作用、経済作用は勿論のこと、茶道、華道、能・歌舞伎など伝統芸能の各種芸道において、その普及が試みられた。それは在留邦人の活動と趣味に応えるものだったが、当然のことながら教化的な意味合いを持っていた。
総督府におかれた、華道・・流総本部でも、例年通り正月行事が行われることになった。
2日・3日は、早朝から行事があった。
総華督である山口伸太郎は、初花入れ、旧年度功労者の表彰などの内部行事に加え、総督府本部の行事への列席、軍部関係者の供応などに忙殺された。総華督とは、「総督府における家元代理」という地位である。
本部での行事を終えて帰宅したとき、日はすでに暮れ、夜半の冷気が屋敷町を覆っていた。
玄関の間には、伸太郎が自ら活けた正月花が、四畳半の和室を圧して花枝を伸ばしている。伸太郎はとりわけ見事な矢車菊に目をやったが、その眼差しは暗かった。
主人の帰宅に気づいて、妻の八重が姿を見せた。
「お帰りなさいませ」
八重は畳に細い膝を折ると、丁寧に指を着いた。
日ごろは質素な好みだが、今日は年始客を迎えるためであろう、四君子柄の晴れ着に身を包んでいる。豊かな髪も見事に結い上げていた。
伸太郎はまぶしい気持ちで、10歳年下の美しい妻を見やった。
(続く)
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