付近には二、三のホテルがあったが、夏休み最初の土曜日ということもあって、どこも満室であるという。警察の紹介で、近所の農家が夏の間だけ開業している民宿に泊まることになった。
警察から連絡があったのだろう、宿の玄関には灯りがともり、賄いの老婆が鍵を開けて待っていてくれた。
「すまんなぁ、もう片付けてしもうたもんで。握り飯と味噌汁くらいしかできんがな」
「十分です、それで。・・・夜分に申し訳ありません」
「すぐに持ってくるでな」
便所脇の古びた四畳半に通された。畳はささくれ、襖は破れている。
しかし座れるだけでもありがたい。老婆が下がるや、妻と隆は無言で座り込んでしまった。よほど疲れているのだろう。
本当ならば今頃は、温泉の外湯巡りをして、海の幸に舌鼓を打っているはずなのに。そうだ、予約した旅館にキャンセルの電話をしなければならない。
真帆に本物の和室を見せてやりたくて、無理をして取った、名旅館の特別室であった。真帆は本当に楽しみにしていた。自分からどこかに行くなんてありえない。
老婆が夜食を持ってきてくれた。握り飯が一人2個づつ、味噌汁に香の物が添えてある。
「刺身が少しあったけんど、あがるかな?」
「すみません。息子に出してやってくださいませんか」
「わかった、ボン、ちょっと待ってておくれな」
老婆は声を落として言った。
「聞いただよ。大変だったなぁ」
思わず胸が詰まった。真帆が姿を消してから初めて、温かい言葉を掛けてもらえたと思った。涙が吹き上がるようにあふれてきた。
「―すみません、すみません・・・」
何に謝ったのか、自分でも分からない。ただただ、申し訳ないという気持ちで一杯だった。許してほしかった。そして真帆を返してほしかった。誰が連れて行ったのか。一体どこに、誰といるのだろう。
妻と隆は黙したままだ。それぞれに思いがあるが、言葉にならないのだ。妻はショックのあまり、顔の相が変わってしまっている。
私は二人を励ますように言った。
「さぁ、とにかく食べよう」
粗末な膳に向かったが、妻は箸さえ取ろうとしない。ただ黙って俯いている。
「おい、ちょっとでも食べたほうがいいぞ」
「ママ、食べようよ」
妻はすすり泣きはじめた。
「・・・」
どうしてこんなことになったのか。私たちが何をしたというのだろう。
「ママ、泣かないで。真帆きっと出てくるよ、明日になったら出てくるよ」
隆も泣きながら言った。
「大丈夫だよ、絶対大丈夫だよ」
老婆が布団を引いてくれたが、妻は横になろうともせず、夜通し泣いていた。
私も寝られなかった。暗闇で携帯電話を握り締め、明け方まで警察からの連絡を待った。
真帆はきっと、何かの拍子に駐車場から迷い出てしまったのだ。今頃はどこかで保護されているにちがいない。明日になったら、善意の人が警察に連れてきてくれる。
「パパー、寂しかったよー」と言いながら、駆け寄ってくる。そしたらすぐに温泉に直行だ。抱きしめてやろう。一緒に寝てやろう・・・
頭の中で、そんな情景が浮かんでは消えた。
(続く)