日曜日の夕暮れだった。妻は買い物に出、隆は塾に行った。家には誰もいない。
その週末も、私は現場に行っていた。新しい手がかりはなく、警察では冷たくあしらわれた。もう慣れてしまったが、やりきれない気持ちにはかわりがない。それでも私は現場通いを続けていた。
時には、道の駅をそれて日本海に出、春の風が吹く砂浜を歩いた。
真帆はいま、どうしているんだろう。この狭いようで広い日本の、いったい何処にいるのだろう。このまま私も姿を消したら、みんなどう思うだろうか・・・そんなことを取りとめもなく思いめぐらせる。
しかし、日曜の昼過ぎには帰途につかなければならない。明日は仕事が待っている。
帰宅した私はシャワーを使い、缶ビールの栓を取った。事件以来、酒量は増えている。医者に止められるが、聞くつもりはない。健康など、どうでもよいことだ。
電話が鳴り出した。5回、10回と鳴り続ける。私はビールを飲みながら、呼び出し音が鳴り続けるのをぼんやり聞いていた。
―事件が報道されてからというもの、何千本の電話がかかってきたことだろう。無言電話、脅迫電話、わいせつ電話、中には真帆の声音を使ったのまであった。・・・ありとあらゆる悪意に私たちは晒され続けた。
妻と息子は、電話番号を変えようと言った。私は反対した。ひょっとしたら有力な情報がもたらされるかもしれない。番号を変えてしまったら、最後の最後で情報を失ってしまうのではないか。
以来、妻と息子は電話に出なくなり、私だけが受話器を取ってきた。呼び出し音を聞いても、何も感じなくなってしまった。
ただ、無視することはどうしてもできなかった。私は真帆を思い切れなかった。
電話は止むことなく鳴り続ける。警察からかもしれないと思い、仕方なく受話器を取った。
3年余りに及ぶ警察との付き合いで、彼らに対する信頼感は全くなくなっていた。不親切な応対、誠意のない仕事ぶり、硬直した論理、そのすべてに失望させられていた。担当官は異動で何度も変わり、その度に捜査方針もブレた。
警察は被害者のために一所懸命働いてくれるものだと思っていた。私は無知な市民だったのだ
しかし、警察と喧嘩をするわけにはいかない。他に頼るもののない、被害者の弱みであった。
「―柏木さんのお宅か?」
しわがれた、初老の男の声だった。声に荒んだ響きがあった。
(続く)