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賛成 | 392票 (73%) |
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反対 | 143票 (27%) |
賛成
脳死状態は社会復帰不可能(相手に対して意思の疎通が図れないこと。)と判断している。
TK(山口・50代・男性・公務員)
12月5日 10時44分
反対
法律で脳死を死とすることになったとしても、臓器提供が義務化されるわけではありません。
本人及び遺族が望まなければ良いだけのことです。
自分の愛する人が死後、臓器を摘出され他人に移植されるのはイヤだ、絶えられない、という気持ちも理解できます。ただ、自分の愛する人が「臓器移植さえすれば助かる」という状態になったときに、それを望むという気持ちも理解できます。
自分のことだったら臓器移植などしなくて良いと思いますが、自分の子供のことだったら、借金でも募金活動でも何でもして、臓器移植をして助けたいと思います。
どちらにせよ、人により思いは違うでしょうから、現在の移植法の通り、臓器移植については「本人及び遺族の許諾が必要」ということでよいのではないでしょうか。
臓器移植に反対する人が、「提供して欲しい」という人と「提供しても良い」という人の相互関係までをも否定して、臓器移植制度そのものに反対することのほうがエゴイズムだと思います。双方、合意してれば良いことで、他人がとやかく言うことではないでしょう。
さて、「脳死」についてですが、人の死とすることに個人的には賛成です。
ただ、日本の場合「死亡」と判定された場合、戸籍法上(通常は7日以内に)死亡届を提出しなければならず、受理された時点でその人は法的には存在しないことになってしまいます。
つまり「脳死判定を拒否し、延命治療を続ける」という選択肢まで奪うことになりかねません。
先の臓器移植と同様、私は脳死に賛成しますが、延命治療を続けたいという人の権利まで奪っ
てしまうことには賛成しかねますので、今回は「反対」とさせていただきます。
法律上、脳死か心停止かどちらを死亡とするかを本人又は遺族が選べる、などということが可能なのかが良く分かりませんので、法律の専門家に聞いてみたいといった感じです。
tom(東京・30代後半・男性・マスコミ)
11月30日 19時15分
賛成
脳死状態となった場合、元通り動けるようにも、まして最低限の動きをすることもできなくなるでしょう。
本人は意識がないので辛いと感じないでしょうが、見ているほうは非常に辛いです。
自分も脳死状態になった場合延命措置はせず、臓器は移植にまわして欲しいと遺書に書きました。
youri(北海道・30代前半・女性・パート/アルバイト)
11月30日 13時53分
反対
とぶさん
脳死移植というのがなければ、脳死を人の死とみなすかどうか、の議論はあり得ません。逆に、脳死を人の死と見なすから、脳死移植というのが可能になります。脳死を人の死とみなさなければ、脳死移植というのはあり得ないことです。
だから切り離して考えるのは難しいのではないでしょうか。
脳死と脳死移植は表裏一体の関係だと思います。
マングースさん、シャオリンさん
ご意見に賛成です。
特に脳死移植については、多大な費用がかかるということもあって、それを受けることができる人は限られてしまいます。日本の場合は募金活動で賄う場合が多いですが、それも経済的に恵まれている国だからできること。
そうではない国では、脳死移植どころか、病気の治療も受けることができずに、風邪で死んでしまう子どもさえいるのに。
あまりに不公平なことではないかと思います。
他人の臓器を買ってまで生きたい、というのは、エゴイスティックな気さえします。
その癖、日本では代理出産は認めないという。出産も命がけのことだけど、死んだ(と法律で定めた)人の臓器を使うのは良くて、生きている人の臓器を借りるのはいけないのか。これも謎です。
脳死移植の対象臓器に「子宮」ってないですよね・・・。
み
11月30日 10時53分
賛成
正確な心情としては「どちらでもない」です。
脳死をもって人の死と捕らえる考え方を持つ自由も妨げたくないので、「賛成」としました。
※何らかの指針・基準を示すことは大事だと思います
個々のケースについて、以前からの本人の意思や家族の意思を勘案し、個別に判定すべき問題だと考えています。
現在寄せられた意見を見ていると、脳死=臓器移植といった意見が多いですが、根本的には別問題だと考えています。切り分けて考えた方がよいのでは…。
とぶ(静岡・20代後半・男性・サービス業)
11月30日 9時0分
反対
脳死が人の死かどうかという前に、臓器移植そのものに反対です。
命は一つ、自分だけのものです。他人から譲り受けるものでもないし、他人に譲るものでもないと思います。
代理母を否定する一方で、臓器移植を進めるのは矛盾ではないでしょうか。
マングース(沖縄・60代・男性・無職)
11月29日 14時13分
反対
人は皆平等に命を与えられています.確かに長生きする人、短命な人とその長さはそれぞれです。人生ありのままに受け止めていくことが大切だと考えます。誰だって少しでも長生きはしたいと思うでしょうが、短くっても充実した人生はあるはずです。他人の臓器をいただける人、いただけない人があってはそれこそ不公平です。また、使えるものなら何でも使えばいいというのもどうかと思います。人の命、人の体は物ではないのです。
シャオリン(三重・男性・その他)
11月29日 13時17分
反対
脳は停止しても心臓は動いている身体は温かい身内の死であれば有るほど死を認めたくないのは、私だけでしょうか?
伊那の勘太郎(岐阜・50代・男性・サービス業)
11月29日 9時2分
反対
人の死を脳だけを基準に考えて良いのだろうか?
jj(大阪・40代・男性・サービス業)
11月28日 21時54分
反対
私の知り合いは、一時的な脳死状態から戻りました。
三途の川をわたりかけた夢をみた、といってました。
昔から、死んだ翌日はお通夜で翌日に火葬するのには、こういう理由があるからだと思います。
魂やあの世を信じていない人が、新鮮な臓器がほしいために、勝手に「死」の定義をかえるのは許されないことだと思います。
カオリン
11月27日 19時14分
集計期間: 2012年8月26日-9月1日