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皆で考えよう!法の建前と現実

【質問】「脳死」を人の死とすることに
(投票総数:535票)

賛成 
392票 (73%)
反対 
143票 (27%)

投稿一覧

賛成

美濃屋篠兵衛さんこんにちは。
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まず、『脳死』を『人の死』と定義する事と『臓器移植手術』は、切り離して考える事が出来ない事を納得して下さい。
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切り離して考えているのではなく、臓器移植の問題があろうとなかろうと、私は脳死を死だと思っています。脳死状態になったら、つまり、自分でものを考えられなくなったら身体が生きていようと無意味です。
個人的にはその無意味な状態になったらあとはどのように扱われようとかまいません。普通に家族に引き取られてお通夜をしようが、ドナーとなって切り刻まれようとです。
特に自分でドナーカードを持っているわけではありませんが、もし残された家族が私の身体をドナーとして使用したとしても、何の文句もありません。正直な話、死んでしまえば何も感じないですから。
ただ、逆に標本のようになって人目にさらされるのは恥ずかしいので嫌ですね。


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私自身、『脳死』を自分の『死』であることを理解しています。『脳死』状態を迎えたら『私』という個人はこの世からいなくなるのでしょう。ですから『死んだ』後なら死体を使っていただいてかまわないと以前の投稿でも書いています。
私が申し上げたいのは生きているうちに『死亡』判定を下される可能性があるならば止めて欲しいし、そうなることが高い確率で起こりえるのが現状だと言う事です。
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ここで言っている「生きているうち」というのはどういう状態でしょうか。
脳死状態が死んだ状態であると理解しているということは、「生きているうち」にというのは脳死状態でない状態ですよね。
後の文章を読むと、「脳死状態でないのに脳死状態であると偽装されて臓器移植に利用される可能性がある」と考えていると思えます。脳死を死を判定する制度さえなければ偽装しても臓器移植はできないので、脳死を死とすることに反対している。ということでいいでしょうか。
反対の方の意見は一部を除くとほとんどが、脳死を死とすると「回復の望みのある人までが臓器移植に利用される」「医師が脳死でない人を脳死と偽装して臓器移植に利用する」「国が臓器移植を義務化する」というのを理由の根拠にしていると思います。
3番目は後に置きますが、なぜ反対する皆さんは医師が本人や家族の意向を無視すると考えるのでしょうか。むしろ臓器移植が主流になれば、現在のドナーカードが逆に「臓器移植反対カード」、つまり「自分は臓器移植につかわれたくありません」と意思表明をするカードに変わっていくように思うのですが。
こうすると現在とは逆にそのカードを持っていない人はドナーとなる意思を持っていることになり、臓器移植反対カードを患者が持っていたとしても医師や第三者が悪意を持ってそれを隠し、臓器移植に使用してしまう可能性があります。
ですが、反対の方はもう理屈ではなく感情も幾分か入っていると思いますので、全力で移植を阻止する努力をしてもらうことになります。つまり、本人だけではなく家族全員に「臓器移植反対カード」を本人の署名入りで持たせるというように。
例えば美濃屋篠兵衛さんの場合ですと、「私、美濃屋篠兵衛は、脳死状態における臓器移植には反対しますので、脳死状態での臓器摘出を拒否します」というような意思を表明したカードを家族全員に持たせるわけです。そうすれば本人のカードを隠されても家族の誰かが持っていることになりますから臓器摘出を阻止できます。
本当に反対するという断固たる姿勢があるのでしたら、ここまでやる必要があるのではないでしょうか。
そうすれば、医師が悪意を持って脳死状態どころかまったく健康な人間を殺し、それを臓器移植に使用するという極端な場合を除き臓器摘出を阻止できます。
最後の「国が臓器移植を義務化する」は、たとえこの掲示板で「賛成」を掲げている人であっても9割がた反対すると思います。もちろん私も反対です。

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どんどん、『移植手術は善である』『国民は協力義務がある』という私の言う「いやな予想」の方向に進んでいるようです。
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移植手術は善です。というと語弊がありますので変えますが、臓器提供は間違いなく善です。そして移植手術は善でも悪でもなく、単なる医療行為です。医療行為に善悪はありません。これはもはや、八百屋は善か悪か? 会社員は善か悪か? といっているのと変わりません。その医療行為を行うために医師が善の方法を取るか悪の方法を取るかです。包丁は料理に使うものですが殺人にも使えます。要は人の意思の問題です。
話を戻して、臓器提供は、言ってみれば人が自分の持っているものを犠牲にして他人に差し出す行為です。無償で人の役にたつ行為をすることに善悪の判断は必要ありません。間違いなく善行です。
問題はそこに他人の恣意的な行為が入り込む余地があるために「脳死であることを偽装する」という可能性が生まれてしまうことにあります。
それを防ぐには、上で言ったように「脳死状態での臓器摘出には拒否」する書面を自分だけではなく家族全員に持たせる以外には防ぐ方法がありません。さらにこれでは死をも偽装される可能性がありますので、もはや臓器摘出自体を拒否する書面が必要になります。
もし医師に悪意、もしくは強すぎる倫理観と信念があるのなら、ここまでしなければ脳死状態による臓器摘出を防ぐことはできないと思います。

ねこじゃらし(埼玉・30代前半・男性・製造業)

11月10日 17時12分

反対

心配停止によるものが死亡であると思います。医者は非常に狭い環境の中で(病人を相手の仕事ですから)毎日毎日忙しく生活しているので、非常に極端な考えになることを必然的に強いられていて、医者でないほとんどの人の考えとは大きなずれがあり、現在問題になろうとしている、病気になった人の腎臓を切り取り、透析で苦しんでいる人へ移植するというようなことを、患者のためと称して行ってしまうのではないかと思います。犬や猫など人以外の動物が死ぬのに脳死なんてありえません。人についてのみ、医者の考え出した一方的な基準を都合の良いように作り上げることに不自然さを感じます。自発呼吸がない患者に対し、無理やりに延命処置をすること自体反対で、自分にもそういう状況になったらそんなことはしないよう日ごろから周りのものに言っています。数年前、家内ががんの手術をするときにも、執刀するときの説明時に、万が一の時には、延命処置など取らないように一言言った事をよく覚えています。自分もそうするつもりです。

玄龍(広島・50代・男性・コンピューター関連)

11月10日 16時32分

賛成

脳死になったら、無意味な延命処置は無駄だ。

papa charlie(埼玉・70代・男性・無職)

11月10日 16時9分

賛成

他の臓器は取替えができ得るだろうが脳だけは取り替えることはできない、つまり脳がその人そのものである。その脳が蘇生不可能ということはその人が亡くなったということだと思います。

凡人(大阪・40代・男性・公務員)

11月10日 15時46分

賛成

私の お母さんは僕が 中学生の頃に 脳内出血で入院をして 結局十八年間の間 入院生活をしてしまいました。 その 十八年間 俗に言う 植物人間と言う状態で とても見ていられませんでした。みなさまには 分からないと思いますが とても 長い間病院の ベッドの上で 寝たきりでしゃべれない 食べれない 意識があるのか?など とても見ていられません。 その入院費など今後の生活などを考えると 僕としては 賛成です。

たろ(千葉・30代後半・男性・メンテナンス)

11月10日 14時6分

賛成

脳機能が停止に至れば心臓の動きまでストップしてしまう以上、脳の死を人の死として判定しても良いと思います。
少なくとも、私は自身がそうなった際、そのように判定してほしいと思います。
自分の意志も発信出来ないのに、機械で無理矢理生かされているのは悲しいですから。

Turangalila(神奈川・20代後半・男性・マスコミ)

11月9日 18時59分

賛成

臓器移植によって生命をより長く維持できることは、それだけその人が社会に貢献する可能性が増すことになる。したがって、移植年齢は子供まで含まれるべきである。
「脳死」は日本古来の文化からいえばそぐわない面もあるが、少子高齢社会では許されるべき行為として、「臓器移植」に対して新たな価値観が求められているのではないだろうか。

たっちゃん(広島・60代・男性・医療機関)

11月9日 14時41分

賛成

現在の医学では一度脳死状態になってしまった人を蘇生させることが
できるかどうかを一つの境目として考えたい。
可能であるならば反対だが、たしかまだ不可能であると認識しているので
賛成としました。

にーたろう(東京・20代前半・男性・無職)

11月9日 14時7分

反対

ねこじゃらしさん
まず、『脳死』を『人の死』と定義する事と『臓器移植手術』は、切り離して考える事が出来ない事を納得して下さい。
なぜなら、『臓器移植手術』を考慮しなければ、『平坦脳波』が一定時間確認された後、人工心肺装置等の延命治療機器を停止すれば速やかに『3兆候=瞳孔拡大・呼吸停止・心臓停止』がでてきて通常の『死』の状態になります。『移植手術』を考えるからこそ『脳死』状態を継続させる必要がある。
『移植手術』がなければこんな『脳死』を考える必要もない事を納得して下さい。
私自身、『脳死』を自分の『死』であることを理解しています。『脳死』状態を迎えたら『私』という個人はこの世からいなくなるのでしょう。ですから『死んだ』後なら死体を使っていただいてかまわないと以前の投稿でも書いています。
私が申し上げたいのは生きているうちに『死亡』判定を下される可能性があるならば止めて欲しいし、そうなることが高い確率で起こりえるのが現状だと言う事です。
そう判断している理由は次の通りです。
1)『死』の判定対象者は自分が生きている事の主張を対象者本人には出来ない。(本人は生きていても肉体的に表明能力がない状態にある。)
2)第3者が対象者の意識があるかどうか(意識があれば死んでいない)確認する必要があるが、第3者は本人の意識を直接確認する方法を持たない。(本人は肉体的に表明能力がない状態)
3)よって、何らかの客観的証拠により対象者の『生死』判定を第3者が行う事になる。
4)この場合に重要なのは、第3者の中立性(対象者の生死が第3者の利害に関係していない事)と、客観的証拠の正確性(『生死』の判定基準として妥当である事、提出された証拠が変造・偽造等がなく正確である事)が保証されている必要がある。
そこで、
5)『生死』判定に携わる第3者はほとんどの場合医師になるが、彼等の中立性は保証されているのかどうか?
6)客観的証拠が正確である事がどのように保証されているか?
が確認されなければならないが、
7)医師の中立性はこの場合保証されない。別に金銭的、あるいは上からの圧力等を考慮しなくても、医師とは人の命を助ける事を使命としている人たちですから、助けられそうもない人=『死』の判定対象者と、助ける事が出来そうな人=『臓器移植手術』を待っている人の、どちらに重きをおくかは火を見るより明らか。これは災害時に優先順位をつけて治療していく最近の考え方とも合致する。究極の2択ですが『助けられる人を確実に助けるために、助けられな
い人の生存時間をxx分(時間?日?年?)縮めても良い』と考える人はそれなりに出てくる。
8)客観的証拠の中で多くは医師以外の第3者が確認できる物である故に正確性の保証はあると考えられるが、『平坦脳波』だけは医師が提示する証拠を検証する術がない。脳波測定器に何らかの改造がなされて出力される脳波波形が正確でないとしても、改造の事実を知っている者以外は正確であると考えてしまうだろう。よって医師に対する信頼のみが『平坦脳波』を保証する事になる。しかし、7)で述べたように医師の中立性は保証できない故、『平坦脳波』の
正確性に対する保証はないとの結論になる。
(結論)
以上により、『脳死』が恣意的に運用される可能性の存在が明らかなため、『脳死』を人の『死』と認める事はできない。

また、11/7.8のご意見を解釈すると、私が指摘した2点にたいして
1)法の変更による『死』の定義の変更及び献体の義務化は今後でる可能性があるが、考えたくない。
2)恣意的な運用の防止は医師の倫理が重要であり、倫理を守らない医師に対しては厳罰化で挑めば問題はない。
とご回答いただいたと理解しました。1)についてはともかく、2)につきましては
「使命感の高い、良い医師であればこそ、恣意的運用の可能性が残る。」
と考えています。厳罰化してもやる医師は必ずでてきます。金銭等で倫理を踏み外す医師は極少数でしょう。移植手術により人を助けたいと強く願う医師である程、厳罰をものともせずに恣意的運用に踏み込むのではないでしょうか。

あと、私自身は「ドナーカード」を意識的に所持していません。また、家族には「脳死判定による死亡の認定と献体は拒否する。ただし、心臓停止後に死体をどう使ってくれてもかまわない」と伝えてあります。
ただ、現在はドナーカードの保有による意思表明が献体条件に入っていますが、新聞の記事(出典は忘れました)によると、カードの不所持あるいは記入漏れでも遺族の承諾があれば献体可能にするような法改正が検討されているとのこと。
どんどん、『移植手術は善である』『国民は協力義務がある』という私の言う「いやな予想」の方向に進んでいるようです。

美濃屋篠兵衛(岐阜・40代・男性・製造業)

11月9日 11時29分

賛成

生物は、子孫を残す為に生きています。
メスのかまきりが、産卵の為にオスのかまきりを食べるように。

人も他の生物と同じで、永遠の命をつなぐ為に、固体が存在するだけです。

また、子孫を残していない人の為に、子孫を残した人は、協力して、
人間を絶滅種でないようにしましょう。

人間も他の生命体と同じ(京都・30代前半・男性・小売業)

11月9日 10時53分

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