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皆で考えよう!法の建前と現実

【質問】「脳死」を人の死とすることに
(投票総数:535票)

賛成 
392票 (73%)
反対 
143票 (27%)

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個人的な目的でこの場を使ってしまって申し訳ありませんが、13日夕方に書き込んだ意見にて行き過ぎた書き込みをしてしまいましたのでお詫びをさせていただきます。

海王さん、みさん、ごめんなさい。「だからなんなのか?」「それが何なのか?」と侮辱するような発言をしてしまいました。
自殺について書き始めてから、自殺に関しては思うところがあって一人でエキサイトしてしまい、その後が乱暴になってしまいました。
お詫びします。

ねこじゃらし(埼玉・30代前半・男性・製造業)

11月13日 20時41分

賛成

kazutoraさん はじめまして。
同じ賛成の立場に方に言うのも何なのですが・・・。

・・・・・
あとは脳死に関しては、本人の希望があっても3年までの延命が基準で、1年ごとに家族の承認をもとめる制度で最長6年。
未成年の場合は尊厳死は家族および役所の担当者および医師の判断で。
・・・・・
この期間はあくまで便宜的に言ったものだと思いますが、期間を定めることに何か意味がありますでしょうか。
本当に脳死状態であっても生きていてほしいと思う方にとっては、もちろん金銭的な問題も絡んできますが可能な限り延命処置を施してほしいと思うのではないでしょうか。
そもそも脳死を死と考える以上、延命措置がありえないわけです。脳死状態になったとたんに生命維持装置のスイッチを切るか、ドナーとなるために延命処置を受けるかに分かれるわけです。
これに対する私の選択は「どちらでもよい」。家族の判断でとなります。
一応、「すぐ機械を切ってほしい」と事前に伝えてはおきますが。
あと未成年に対する措置もどうでしょうか。確かに未成年者は親の監督下にありますが、生死の判断くらいの自由はあっていいと思います。とはいっても、これは未成年だろうが成人だろうが変わりませんが、金銭的負担を負うのは家族なので、家族による選択が大きなウェイトを持っていいはずです。
たとえ未成年者の本人が「脳死状態でも生きつづけたい」と言っていたとしても家族が金銭的に不可能であれば延命処置を中止してもかまわないだろうし、たとえ「脳死になったら延命処置は拒否する」と言っていたとしても家族が望みさえすれば延命処置を施すでしょうし。
ただ、延命処置を行わなくても家族に金銭的な負担はない(葬儀は別ですが)ので、これくらいは本人の意思を尊重してほしいですが。子供を失うことの精神的苦痛と、子供を脳死状態で生きつづけさせることの金銭的負担を天秤にかけることになりますね。

・・・・・
確かに生き生かされることは最低限の権利ですが、相反する死もまた権利です。そして当然義務も生じるというわけです。
・・・・・
死に関する義務とは何でしょうか。最近いじめによる自殺が取りざたされていますが、私は生きることも死ぬことも権利であると思います。自殺もまた権利であると思っています。
ただあまりにも若すぎる死には無念さを感じます。もうしばらく我慢すれば、小学生なら中学校へ、中学生なら高校へ。高校生なら社会や大学、専門学校へと、たった数年で違った世界へ行くことができるのですから。その先で過去を振り返り、同じことを繰り返さないよう生きていってほしいと思います。
もう後ほんのわずかの勇気を振り絞り、先生や親、周りの力になってくれる友達を巻き込んでいじめの事実を顕在化することが重要だと思います。
そういう意味では、いじめに加担した教師、隠蔽しようとした教師は厳罰に処するべきです。クラス全体がいじめに加担した場合も同様ですね。学校に行ってしまえばいじめを受けている子にとって頼りになるのは先生と友達だけです。
話がそれてしまってすみません。
死に義務などないと思います。本人の意思で行動できない存在にとって、何の義務が生じるというのでしょうか。死に様くらいは自分で選べた方がいいのではないでしょうか。


海王さん こんばんは。
またも意見が対立しましたが、よろしくおねがいします。

・・・・・
医者の倫理は確立されているのか?
私の疑問はここに集約されます。
かつて、ハンセン病患者の隔離に手を貸した者たちは、罰せられたのか?
患者を隔離し、死体を焼き払った北里柴三郎の「政策としての、医療行為」は
許されるのか?精神障害者に対する医療の実態は?生き続ける優性思想は?
医療が持つ残酷な一面をこのまま放置したまま医者が「死とはなにか」を市民
抜きで判断することの危険性を指摘したい。
・・・・・
数々の批判をされていますが、これに何か意味はありますか?
医師の全てが上のようなことをしたわけではありませんし、医療が持つ残酷な一面は人の命を扱う以上必ずあらゆる行為に付きまといます。それの一つ一つについてつついていたら何もできません。医師もまた人間ですから、きっと常に「自分のしていることは正しいのか?」と自分に問いかけながら仕事をしていると思います。またそうあってほしいです。
すでに臓器移植は始まっていますので、過去をいちいち振り返り、海王さんの疑問全てを晴らしてから検討する時間はないと思います。
倫理的な問題は医師に限らずあらゆる職業について回る問題です。それをここで議論して解決していけばいい(ちょっと恐れ多いですが)のであって、「倫理が確立されない以上この問題には反対」というのは短絡的ではありませんか? どうすれば倫理を確立できるかを考えるほうがよほど建設的です。
それと、「生き続ける優性思想」とはなんでしょうか。脳死問題を考える上で欠かせない話でしたら、説明をお願いします。

・・・・・
私はあなた方の書き込みに考えさせられたり、時には発見させられたりする
ことがあります。前回の指摘に対する回答もまだですし、意見をもっと聞きたいです。(sasarujp@hotmail.com)また有益な意見交換ができれば良いなと思います。
・・・・・
大変申し訳ありませんが、諸処の事情による直接メールをやり取りすることはできません。今後、できるようになりましたら連絡を差し上げたいと思います。

ねこじゃらし(埼玉・30代前半・男性・製造業)

11月13日 18時52分

賛成

みさん はじめまして。
・・・・・
Wikipediaの「脳死」の項に、このような記述があります。
以下略
・・・・・
だからなんなのでしょうか。脳死状態のまま何年生きようと、その人が自分の意思で行動できないことに変わりはありません。自分の意思で行動できず、というよりその意思すら持てず、家族に金銭的な負担をかけ続ける人生に何か意味はありますでしょうか。
ラザロ徴候にしても、みさんは「これがあるから脳死状態であっても意思がある」と言いたいのかもしれませんが、「自己の意思を自由に表現できる」人間がなぜ、全員揃って「両手を挙げて合わせ、その後下ろす」という行動を一様に取るのでしょうか。
なぜ指だけでは、なぜ目を開けることは、なぜ声を出すことは、なぜ足を動かすことはないのでしょうか。
これを解明するのはまさに実験に等しくなってしまうような気がするので反対ですが、脳死状態になることによってその部分だけを上げ下ろしする能力だけが残るというようですと、やはりそれだけの人生に何か意味があるのかと疑問に思います。
14年間生命活動を維持し続けたとはいえ結局脳の機能が回復しない以上、それは死ではないでしょうか。この状態を生きているというのでしたら、脳をそっくり取り出してしまっても生きてさえいればかまわないのでしょうか。「見た目が少しでも変わってしまったらそれは嫌だ」というようでしたらただのエゴです。
金銭的に余裕があって自分の死後ですら生かせようとするのでしたら、それはそれでかまいませんが。

ねこじゃらし(埼玉・30代前半・男性・製造業)

11月13日 18時52分

反対

Wikipediaの「脳死」の項に、このような記述があります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E6%AD%BB#.E8.AB.96.E7.82.B9

* 長期脳死(chronic brain death)

従来、脳死になったら数日から一週間で心臓も止まると言われてきたが、1998年に米国の脳神経学者D.A.シューモンShewmonが統計的な大規模調査を行ない、175例が脳死判定後一週間以上、心臓鼓動していたことを明らかにした。脳死状態で1年以上心臓が動いていた例が3例ある。最長例では14年間心臓が動き続けた。これは4歳で脳死判定された男子であり、脳死状態で身長が伸び、論文発表後も成長し20歳を超えた。心臓停止後解剖したが脳は死滅しており、人間の統合性は脳がなくても維持されることが示唆されている。日本でも小児脳死の大規模調査が行なわれており、長期脳死の例が確認された。海外の専門家のあいだでは脳死概念を疑う声も徐々に出てきている。

* ラザロ徴候(lazarus sign)
1984年に米国の脳神経学者A.H.ロッパーによって5例が報告された。脳死患者が医師の目の前で、突如両手を持ち上げ、胸の前に合わせて祈るような動作をする。動作後は自分で手を元の位置に戻す。同様の現象はその後各国で多数確認され、日本でも医学誌に症例報告がある。動作のビデオも収録されている。ロッパーは「脊髄自動反射」と理解するが、疑問視する声もある。脳死患者を家族に見せないようにすべきとロッパーは書いている。

11月13日 15時52分

賛成

私は脳死が人の死であることに賛成です。
脳死とは一般に、脳、心臓、肺すべての機能が停止した場合(三兆候説)【ウィキペディア】

呼吸などが機械などを使わないと生きていけないのに無理に延命治療をすることは「生命の尊厳」の軽視であると思います。
自然死してしまう人を無理に生かすことはとても疑問に感じます。自分からしたら表現はすごく悪いものですが「呼吸ができなければ人間的に生きれていない。」と思います。

しかし、実際自分の母親がそうなったら・・。たとえ死んでいたとしても生きていて欲しいと思ってしまうでしょうね。理論と現実は違うものなのでとても難しい問題ですね。

ちなみに脳死と判断されても生き返った例がほんの一例あったそうです。しかし1週間後にお亡くなりになったそうです。

ウィキ(東京・10代後半・学生)

11月12日 19時12分

賛成

脳死事実を確定しないと日本の臓器移植の基礎が固まらない。
特に幼児のの脳死移植も認めないとすればアメリカに行かざるを得なくなり、莫大な金額がかかってくる。
脳死が事実なら確実に体は腐敗して、必ず最後に呼吸停止となる現実を認める必要がある。

Visotsky(愛知・60代・男性・その他)

11月12日 9時58分

反対

医者の倫理は確立されているのか?
私の疑問はここに集約されます。
かつて、ハンセン病患者の隔離に手を貸した者たちは、罰せられたのか?
患者を隔離し、死体を焼き払った北里柴三郎の「政策としての、医療行為」は
許されるのか?精神障害者に対する医療の実態は?生き続ける優性思想は?
医療が持つ残酷な一面をこのまま放置したまま医者が「死とはなにか」を市民
抜きで判断することの危険性を指摘したい。
さて。美濃屋篠兵衛さん。ねこじゃらしさん。
私はあなた方の書き込みに考えさせられたり、時には発見させられたりする
ことがあります。前回の指摘に対する回答もまだですし、意見をもっと聞きたいです。(sasarujp@hotmail.com)また有益な意見交換ができれば良いなと思います。

海王(大阪・30代後半・男性・無職)

11月11日 6時21分

賛成

人の生死の判断を他人に委ねることの問題については、成人の際に死亡の基準を役所に委任なしで届け出ることを義務付けすればよいかと思います。委任なしで。生命あるものいつかは死ぬということを自覚することも大人の条件かな(ここは適当)
まあ、臓器バンクの勧誘がセットでくると思いますが、かってに脳死判断の人身売買は防ぐ方向で。
あとは脳死に関しては、本人の希望があっても3年までの延命が基準で、1年ごとに家族の承認をもとめる制度で最長6年。
未成年の場合は尊厳死は家族および役所の担当者および医師の判断で。

確かに生き生かされることは最低限の権利ですが、相反する死もまた権利です。そして当然義務も生じるというわけです。

kazutora(愛知・30代前半・男性・コンピューター関連)

11月10日 18時31分

賛成

自宅に引き取れるわけでも無い。
一緒にすごせるわけでも無い。
家族に負担がかかる。
とにかく負の要素が多すぎます。

意識が戻らないと分かった人といるのは、
本当につらいものです。

それなら、ドナーになって他の方の中で
しっかり生きていてほしいと思います。

TOMOMI(東京・20代後半・女性・サービス業)

11月10日 18時28分

賛成

人は 脳の機能があってこそ自分の意思等が表現出来る
脳が死んでしまっている以上 回復はないのだから
植物と同じ様になってしまう
ただ生かされているのは もし自分であれば
勘弁して頂きたい 浮腫んだりして自分が変わっていくのは嫌だから…

おみくん(神奈川・50代・男性・パート/アルバイト)

11月10日 17時28分

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