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賛成 | 392票 (73%) |
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反対 | 143票 (27%) |
反対
臓器移植が必要な人の考えとして、自分自身や家族が生きるために、他人の臓器が必要となれば、生きるために何があっても欲しいと思ってしまうものだと思います。
又自分もドナーカードを持つことにより、その行為は、良い事で、当たり前の人助けと考えているのではないでしょうか。
勿論、人助けは良い事だと思います。
でも私は臓器移植に関しては反対です。
何故なら逆の立場で考えると、いたたまれなくなるからです。
想像してみてください。
例えば、自身にとって とても大切な人が交通事故に遭いました。連絡を受けて、急いで病院へ行き、やっと着いた先で貴方は、無常にも「脳死」と医師から、告げられるのです。
見るも無残な姿で病院に運ばれ、判定は脳死。直ぐ止まってしまうとはいえ、心臓は動いていて、息がある。でも脳死と断定されたので、治療は無し。
ショックでボーゼンとしている貴方に
「今から心臓を摘出します」
事故で無残な姿なのに、綺麗に残った体の一部の心臓はとられてしまうのです。
たえられますか?
私は耐えられません。
無残な姿になっているのに、心臓が動いているからと、切り刻まれるなんて我慢できません。
もうやめて欲しい。何もせずそのままの姿で帰して欲しい。そう思うのではないかと・・・。自分本位の考え方なのは解っています。でも反対です。
皆さんは、この状況で賛成できますか?
長文ゴメンナサイ(鳥取・30代前半・女性・専業主婦/主夫)
11月27日 14時8分
賛成
人間は脳が発達している事により「生」があり人は動いたり
物事を考えたりする事ができると思います。
脳死の場合は、やはり「死」と断定したほうが妥当だと思います。
夏海(兵庫・10代後半・女性・学生)
11月23日 21時21分
賛成
自発呼吸も出来ないで、機械に繋がれて生かされている状況が「生」だとは思えません。
cham(兵庫・30代前半・女性・サービス業)
11月22日 22時56分
反対
脳死がきちんと判定できるならそれは死であるが、残念ながら現状はそうではない。現在の医学上で蘇生限界点を超えた時点を脳死としているにすぎないからだ。たとえば脳低体温療法など、医療の進歩により蘇生限界点は伸びていくことが考えられるが、脳死判定⇒移植の流れが出来てしまうと、進歩は停止してしまうであろう。
一医師(広島・40代・男性・医療機関)
11月22日 20時25分
反対
人の死というものは、人間が利害損得にもとづいて決めるものではなく、自然に訪れる現象なのです。
みぽりん(愛知・30代後半・男性・製造業)
11月22日 2時43分
賛成
脳死と、いわゆる植物人間とを混同している人が多い点が問題です。脳死は人工呼吸器などをつけていても、一週間ぐらいで死んでしまう状態だと聞いた事があります。
私は自分の命が誰かの無くてはならない臓器として生まれ変わる事はむしろドナーの為と言うより自分のためのような気がしています。
一週間命を永らえるより、誰かの中で生き続ける方を選択したいです。
よっしー(大阪・40代・女性・小売業)
11月21日 22時45分
反対
本当は、脳死による臓器移植が進んで欲しいとは思っています。
しかし、もし、脳死が一律人の死になってしまえば、
本人の(生前の?)意思に関わらず、脳死の人の体が臓器移植目的とされる危険性があると思います。
というのも、愛媛での臓器移植事件の医師の意思を考えれば、
そういう医師が居れば、当然のごとく起こるでしょう。
ですから、仮に脳死を人の死とする場合には、
現在と同様、臓器提供の意思がある場合のみ等にする必要があります。
noname(東京・20代後半・女性・専業主婦/主夫)
11月21日 20時59分
賛成
脳が死ねば、元にはもどらず家族なぞに色々な負担がかかり、医療面でも大変です。
いわちゃん(和歌山・60代・男性・無職)
11月19日 12時34分
賛成
「生きる」ということへの個々の基準が違うから、一概に他者を批判できないと思う。しかし個人的には「心臓が動いている」という事実だけでは生きているとは思えないため、賛成とします
しのぶ(東京・30代前半・女性・医療機関)
11月17日 23時36分
反対
脈拍があるかぎり生きている。
脳が死んでいるのなら、脳を移植すればより。
そうしたら、また生き返る。
脈がなくなったら死亡(大阪・30代後半・男性・サービス業)
11月17日 10時13分
集計期間: 2012年8月26日-9月1日