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皆で考えよう!法の建前と現実

【質問】「脳死」を人の死とすることに
(投票総数:535票)

賛成 
392票 (73%)
反対 
143票 (27%)

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選択制度が良いと思います。
臓器提供を希望している人は、脳死を死にして、臓器を提供して別の人をたすける。

医学が日進月歩しているので、法律で脳死を死と決めてしまっては、
脳死が助かる方法がでてきても死体になってしまう。

しかし、だれが選択するか問題です。
裁判所に申請して死体と認定されればよしにするのはいかがでしょうか?

選択制度がよい(大阪・30代後半・男性・コンピューター関連)

11月16日 16時50分

反対

ねこじゃらしさん

私はあくまでも、「他の人が全く触れていない、脳死についての記述例」を提示しただけであって、それ以上の意味はありません。
「だから何?」と言われたら「こういう事例がありますよ」としか答えませんし、それに詫びを入れられても「それで?」としか思えません。

私は根本的に「脳死移植に反対」だから「脳死を人の死とすることに反対」なんです。
それだけです。

11月16日 15時23分

賛成

脳は臓器の一部でしかありません。

人間は、多くの生物の集まりです。
生物は、今まで進化の中で、単体から、
集団を作り生き延びてきました。
その集団が、役割分担をして、
多細胞生物に進化したわけです。
人間を構成している生物が、いきなり全て死ぬわけではなく
ほとんどが、火葬場で、焼き殺されます。

脳死と言っても、今の医学では、意識がないと判断していますが
あるかもしれません。反応できないだけかもしれません。

死刑で、ギロチンを使わなくした人は、
自分がギロチンで首をはねられて
その後何回まばたきできるかで、
首が切り落とされたあとも、
意識があり、生き続けている事を証明して
ギロチンでの死刑がなくなりました。

自然科学は、仮説です。実際はわかりません。

それに、脳死でも生き返る方法があるかもしれません。
発表されていないだけかもしれません。
無名の研究者の実績は世になかなかでないものです。

まちがいなく、臓器移植される臓器は生きています。

どちらを殺すかですね。

生存の高い確率の方をとりましょうか。

二者択一(京都・40代・男性・その他)

11月16日 11時26分

脳が全く機能しなければ植物状態であるのだから、臓器を摘出しても人間の尊厳を侵害することにはならないと思う。しかし、遺族が反対するのであれば遺体は遺族の共有物であるのだから、臓器の摘出は違法であると考える。

知的財産大好き人間(東京・40代・男性・その他)

11月16日 0時12分

賛成

おじゃま虫さん はじめまして。
解説がほしいとのことですが、このサイトに載っている議論の背景の説明では不十分ということですか? もしお読みになっていないというのでしたらぜひ読むべきだと思います。
読んだ末、これでは不十分だと感じたのでしょうか。あらゆる物事について全ての情報を提供するのは不可能です。サイトの情報がどちらかの意見に偏っているとか、どちらかに誘導しようとしているというのでしたら別ですが、全ての情報を載せられないのは仕方のないことだと思います。
臓器移植のために脳死を死と判断することに反対とのことですが、そうでないのなら賛成なのでしょうか。であるなら、自分がドナーとなることは拒否して、脳死を死とすることには賛成してもいいのではないでしょうか。
そのほうが、家族の負担が減ると思います。

普通の人さん はじめまして。
かなり考えさせられる意見でした。
ですが、普通の人さんだけではなく、「脳死であっても自分では死んでいるとは思いたくない本人を、他人が「死んだ」とみなしてしまうことは横暴」と考える方全てにお聞きしたいことがあります。
普通の人さんがいう「主観」については、逆にお聞きします。では、生命維持装置のスイッチさえ切ってしまえばすぐに死んでしまう、自分の意思すら表明できないような、いつ回復するかまったく分からない(むしろ回復しない可能性の方が圧倒的に高い)、何ヶ月、何年、何十年も病院にいることになるかもしれない、医療費がいくらかかるかまったく分からないような状態で、生き続けたいですか?
賛成意見の方の中にも、長い間脳死状態の家族を看病してかなりの負担だったとおっしゃった方がいました。そんなに家族に負担をかけることを当たり前だと思えますでしょうか。金銭的な負担はどうするのでしょうか。
もちろん、「脳死は死ではない」と考えていることが前提ですから、生命保険はおりません。医療保険はどうなるか分かりませんが。脳死者本人が働くことはもちろんできませんから、治療費は家族が負担します。主観的に考えていただきたいのですが、その負担を家族に負わせて、平気な顔をしていられますか?
もちろん、莫大な資産があって家族にまったく負担をかけないという方も中に入るかもしれません。ですが、そのような方はきっと脳死状態で生きるのではなく、冷凍保存か何かをして、未来の医療の発展を望むと思います。
私は一切家族に迷惑をかけたくありません。むしろ死亡保険金を家族にいち早くプレゼントしてあげたいと思います。脳死を死と解釈すれば、すぐさま保険金が下りるはずですよね。

客観的な判断についてですが、おそらく、恨みの対象が脳死状態に陥ったと聞きつけ、凶器を用意し、病院へ侵入し、脳死状態の人をわざわざ傷つけて命を絶とうというほどの深い恨みを持った人間であれば、それが殺人罪になろうが死体損壊罪と軽くなろうが、どちらでもいいのではないですか? つまり、脳死を死と判断しないということは、脳死状態の人間に止めを刺そうとする犯人を思いとどまらせる抑止力にはならないと思います。
せいぜい、昔から問題になっているような、少年法を盾にとって殺人や強姦を遊び感覚で行ってしまう少年たちと同様に、「あの脳死状態の人をブチ殺しても殺人罪にはならないんだって。やってみよう」と遊び感覚で病院を襲撃するような人間くらいにしか役に立たないと思います。そんな犯人、聞いたこともないですが。
また被害者の親族に対する心の問題にしても、よくテレビで被害者の家族が言っているとおり「犯人が死刑になったとしても、殺された人が生き返るわけではない」わけです。傷つけられたのが死体であっても脳死状態の人であっても、家族の悲しみは等しいのではないかと思うのですが。
それに、脳死を死と判断する人であっても、その脳死体が運ばれる前にメッタ刺しにされ、血しぶきがあたりに飛び散るさまを目にしたら、「あれは死体だから関係ないや」などとは思えないと思います。
結局、犯人の量刑のみが異なるわけで、そんなことは犯人は気にしないだろうというのは上で述べたとおりです。

これについて私自身の考えを言えば、目の前に横たわっている家族が生体であろうが死体であろうが、それを傷つけようとする犯人を全力で阻止すると思います。それに自分が居合わせない場面で家族の身体が傷つけられたことを知ったら、それが生体であろうが死体であろうが悲しむと思います。
生体か死体かで異なることというと、もし私が家族の身体を傷つけようとした犯人を逆に殺してしまったとしたら、正当防衛になるか殺人罪に問われるかだと思います。ここのあたりの法的判断は難しいのですが、もしかしたら死体は所有物とみなされ、正当防衛もしくは過剰防衛になるかもしれません。どちらにしても。裁判では情状酌量が認められるのではないでしょうか。
とはいえ、これは「殺人罪になろうが死体損壊罪と軽くなろうが、どちらでもいい」と思うはずの犯人の心情と同じように、家族の身体を救おうとした結果どうなろうと考える暇もなく体が反応していると思います。家族の体に向かって凶器を手に走ってくる相手を見て、「え~っと、脳死状態は死と判断されているからここで相手を傷つけたら傷害罪になるかもしれないし、殺したら殺人罪になっちゃうかもな~」と考えている余裕はないと思います。

どうでしょうか。

ねこじゃらし(埼玉・30代前半・男性・製造業)

11月15日 19時10分

反対

脳死状態の肉親を看取ったとき、最後の最後まで奇跡を祈った。

dekunobo02(岩手・60代・男性・農林/水産業)

11月15日 16時13分

反対

以前のコメントの中で同様の議論が出ているかどうか分かりませんが、私なりの意見を書きます。脳死を「人の死」とする考え方が、主観的なもの(つまり自分は自分の意思で生きていると認識できないのならば、死んでいると考える立場)だとしたら、そういう主観を持たない人がこのアンケート回答(現時点で)に役4分の1強も居ることをどう考えるのでしょうか?この問題は多数決で決める性質のものではありません。現に、脳死であっても自分では死んでいるとは思いたくない本人を、他人が「死んだ」とみなしてしまうことは横暴ではないでしょうか?また、仮に主観の問題ではなく、客観的な判断だと主張するならば、例えば、脳死状態の人に対して恨みを持つ他者が、恨みを晴らす自己満足のために、脳死状態ながら呼吸している人を銃で撃ったり、刃物で刺すなど、傷つけ出血させた上で心臓停止させる(トドメを刺す)といった行為をしても、客観的に見て殺人罪を構成せず、死体損壊罪と言うより軽い犯罪と評価することになりますよね?私はその結論に納得できないのですが、「脳死=死」と主張する人は、この結論に賛成なのでしょうか?

普通の人(東京・40代・男性・製造業)

11月15日 14時29分

反対

人間の死は厳粛なもので、医者ごときが勝手に判定できる性質のものではないと感じるから。本人や家族の希望で延命治療を中止することは構わないと思うし、必要以上の延命措置(植物状態の生命維持装置など)はすべきではないと思うけれど、移植をしたいがために生きている人間から臓器を取り出すことは、神の領域に踏み込むもので、絶対にすべきではないと思います。

とこちゃん(愛知・40代・男性・印刷業)

11月15日 10時12分

反対

臓器移植のために脳死を死亡と判定するのは反対です。私自身、例えば脳死から生き返った場合、その人はどの様な生活ができるのか?できないのか?または、植物人間になるのか?等々疑問が多くあり、賛成か反対かのいずれか一方に決めかねています。設問がそうなっているのでどちらかというと反対ということです。この手のアンケートをとる場合は、あらゆる状況を理解できるように解説が欲しいと思います。賛成が圧倒的に多いようですが、その解説により賛否が逆転することも考えられます。

おじゃま虫(東京・60代・男性・無職)

11月14日 20時38分

賛成

逆に考えてみましょうよ。
例えば、義手や義足の技術が進歩して本物の人体と変わらない(あるいはそれ以上の)完成度を誇る「義体」が確立されたとする。
そして、何らかの理由で脳以外の全てを義体に置き換えなければならない状況に陥った人が居て、それを実行したとする。
脳以外の全てが死んでいる(生きていない)のに動いたり喋ったりしています。
この状態を「死」と呼ぶ人は恐らく居ないでしょう。
脳さえ生きていれば生きている。その逆もまた然りではないでしょうか?
…まぁ、実際そんな技術が確立されたら臓器移植の必要も無くなるわけで、脳死という概念についての議論そのものが不要になるわけですけどね。

DY(東京・10代後半・男性・学生)

11月14日 19時54分

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